パリッと焼けた餃子、美味しいですよね~♪
関東地方の北部、栃木県の中部に位置する宇都宮市。「餃子の街」に相応しく駅前には餃子のお店が軒を連ねます。
まずは餃子で腹ごしらえをしたのち、宇都宮のもう一つの名物(?)の舞台となった宇都宮城址へ行ってみましょう。
中国の春秋時代(紀元前6世紀頃)の遺跡からはすでに食べられていたという痕跡が見つかっていると言いますから餃子の歴史は古いですね~。敦煌(とんこう)の唐代の墳墓からは副葬品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されているそうです。
餃子は北京語の発音では「ジャオズ、チャオズ」と言います。チャオズ(餃子)は漫画ドラゴンボールのキャラクターの1人として出て来ますよね。私はこれで餃子の北京語の発音を覚えました(^^)
日本語の「ギョーザ」と言う発音は中国の山東地方の方言の一つ「ギァオヅ(giaozi)」に由来しているという説のほか、満州語に由来するという説があるそうです。
さて、日本で一番最初に餃子を食べたのは誰だと思いますか?
徳川光圀(とくがわみつくに)とされているようです。そうです水戸黄門(みとこうもん)です!江戸時代初期に来日・亡命していた明の儒学者である朱舜水(しゅ しゅんすい)から教わったそうです。
旅の途中に出会ったんですかね(^^)
日本人が一般的に食べられるようになったのは第二次世界大戦後で、関東軍や満州開拓団などの引揚者によって広く普及してからだそうです。
日本各地には「餃子の街」を謳っている街が多くありますね。特に有名なのが宇都宮市ではないでしょうか?
宇都宮餃子の始まりも宇都宮出身の将兵が満州からの帰国に際して本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりと言われています。
そんな「餃子の街」宇都宮のシンボルの一つが宇都宮城です。
その歴史は古く平安時代に藤原秀郷(ふじわらのひでさと)もしくは宇都宮氏の祖と言われている藤原宗円(ふじわらのそうえん)と言われています。
藤原宗円以降500年にわたり城主であった宇都宮氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、江戸時代には譜代大名(ふだいだいみょう)の居城となりました。
譜代大名と言われてもピンと来ないですよね。定義を以下に記載します。
1.徳川将軍家により取り立てられた大名のうち、親藩及び、外様大名と、その支藩(分家)を除いたものを指す。
2.関ヶ原の戦い以前より、徳川氏に臣従して取り立てられた大名を指す。
3.幕府の要職に就任する資格のある大名を指す。
要するに徳川家寄りの大名と言う事ですね。
さて、譜代大名が配置される事となった宇都宮城ですがその中でも代表的な人物が徳川家康の懐刀と言われた本多正純(ほんだまさずみ)です。
当時、家康のナンバーワンの側近として権勢を振るっていた正純ですが家康が世を去り、息子の秀忠(ひでただ)が将軍に就くと、秀忠に付く官僚、譜代大名との間に確執が生まれました。
これが「釣り天井事件」へとつながって行きます。この事件は餃子と並ぶ宇都宮の名物(?)です。
日光東照宮に近い位置に有る宇都宮城は「将軍の日光社参(にっこうしゃさん)における宿城」となりました。日光社参は江戸時代に将軍家が参拝する行事であり、幕府の権威を全国に知らしめる重要な行事を指します。
将軍家の宿城と言う特徴から「釣り天井事件」は起きます。
元和8年(1622年)、正純の反対勢力の策略により、宇都宮城に釣天井を仕掛けて将軍秀忠の暗殺を図ったなどの嫌疑を掛けられます。それにより本多家は改易、正純が流罪となったと言うものです。
ただし、この「釣り天井事件」ですが、実際には宇都宮城に釣天井の仕掛けは存在せず、改易は別の原因によるものとされています。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』。。。いくら権力を手にしても謙虚に腰を低くしていなくてはいけないと言う事ですね。
餃子を食べる時は宇都宮城と「釣り天井事件」を思い出しましょう!
釣り天井事件から時を経て時代は戊辰戦争(ぼしんせんそう)へと突入して行きます。そして宇都宮城は新撰組の土方歳三(ひじかたとしぞう)らが率いる旧幕府軍に攻められ、そのほとんどが焼失してしまいました。
現在は平成19年(2007年)に櫓(やぐら)などが復元され宇都宮城址公園として市民の憩いの場となっています。