水は赤穂城へどのように給水されていたのでしょうか?

このエントリーをはてなブックマークに追加

赤穂城跡

浅野長直(あさのながなお)は忠臣蔵で有名な播磨赤穂藩の第3代藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の祖父に当たります。この長直によって慶長15年(1610年)から13年の歳月をかけて造られた城が赤穂城(兵庫県赤穂市)です。

城の設計は藩の家老で軍学師範であり甲州流兵学者の近藤正純(こんどうまさずみ)によってなされ、築城中には軍学者であった山鹿素行(やまがそこう)を招き入れ手が加えられたそうです。

このように軍学に沿って造られた赤穂城は戦を意識して造られており複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長がある近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。

行ってみると分かるのですが確かに石垣やお掘りは手の込んだ造りにしてある事が感じ取れます。

ところで、城内への給水は藩内を流れる千種川(ちくさがわ)から上水道を利用して取り込まれていました。

この上水道、赤穂の城下町の中で注目すべき水利施設です!

元和2年(1616年)、赤穂郡代・垂水半左衛門(たるみはんざえもん)の指揮によって施設された延長30kmの上水道は非常に整備されており江戸神田上水(1590年完成)、広島県福山水道(1622年)に並び日本三大上水道の一つに数えられています。

以前、日本三大土塀(信長塀大練塀太閤塀)と言うものを紹介させて頂きましたが、日本には色々な三大○○が有りますね(^^)

赤穂城から7Km上流の千種川から取り入れられた水は、自然流下で山裾に造られた開水路を通り城下町の入り口まで流れ込んでいたそうです。その後、城下町、武家屋敷、赤穂城内では道路下の暗渠(あんきょ:地中に埋設された河川や水路)管を通り各戸の井戸へと辿りつてたと言う事です。

各戸に給水していたと言う点では当時珍しく、同じく各戸に給水していたロンドンの上水道(1619年)よりも3年古い歴史を持っています。

世界的な大都市ロンドンより古い歴史を持っていたとは驚きですね。

更に、水路トンネルとして有名な、白虎隊隊員が飯盛山へ行く時に通った会津若松の滝沢山トンネルの完成は1665年、箱根用水トンネルは1670年ですので水路トンネルとしては日本で一番古いと推測されています。

このような歴史を持つ赤穂上水ですが水道が普及した現在は上水道としての役割を終えています。

ただ、各戸に水を配水すると言うは精神は400年近く経った今も受け継がれています!

それは赤穂市の水道料金は平成18(2006年)に全国安値ランキングで第一にランクされているからです。現在(2014年1月)では2位ですが、それでも安い事に変わりありません。

日本では豊富な水資源に恵まれていますが雨の少ない国では貴重な資源となっています。普段何気なく使用している水では有りますが、恵まれた環境にいると言う事に感謝しましょう!

このエントリーをはてなブックマークに追加