気持ちが落ち込んでいる時に気分を転換させる方法の一つとして「踊り」を挙げても良いのではないでしょうか?
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々♪」
や
「ヤットサー!ヤットサー!」
などの唄や掛け声で有名な阿波踊りも皆と一緒に踊れば気分転換になるでしょう。
でも本当に阿波踊りは気分転換になるでしょうか?
それは後述するとして、そんな阿波踊りの本場、徳島市の玄関口徳島駅の裏手には徳島中央公園の一部として徳島城跡が残されています。
↑徳島城跡_鷲の門
↑徳島城跡_石垣と堀
↑徳島城跡_本丸の置かれていた城山
↑徳島城跡_本丸跡
↑徳島城跡_旧徳島城表御殿庭園
戦国時代、天下統一を目指す豊臣秀吉の股肱の臣として活躍した蜂須賀正勝(はちすかまさかつ:通称蜂須賀小六(はちすかころく))は1585年の四国攻め(しこくぜめ)の戦功により阿波(現在の徳島県)一国を与えられましたがこれを辞退し嫡男の家政(いえまさ)に譲りました。
徳島城は徳島藩初代藩主となった家政が築城したお城です。
↑蜂須賀家政の像(徳島中央公園内)
さて、この家政の徳島入りによりあるものが生まれたと言う説があります。
それが阿波踊りです!
阿波踊りの起源は定かではないようですがその一説に徳島城が完成した時に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」というお触れが出されたことが起源となったと言うものがあります。
とは言うものの踊りが突如湧いて出来上がった訳ではありません。従ってその原型は盆踊りとされており現在では西馬音内の盆踊(にしもないのぼんおどり:秋田県羽後町)、郡上おどり(ぐじょうおどり:岐阜県郡上市)と並び日本三大盆踊りの一つとして数えられています。
このような阿波踊りを一度は見物したいと言う人も多くいるでしょう。しかし、実際に阿波踊りを見物するには期間が限られています。
そんな方に是非足を運んで頂きたいのが「阿波おどり会館」です!
↑阿波おどり会館
ここでは館内の「阿波おどりミュージアム」で阿波踊りについて学ぶ事が出来ます。更に毎日阿波踊りが実演されているので本物の阿波踊りに接する事が出来ます。
↑阿波おどりミュージアム
↑阿波踊りの実演
そして、何と言っても最高に楽しいのは一緒に踊れる事です!
最近、色々な面においてなかなか前に進まない事で凹みがちな気分だった私も一緒に踊り気分転換を図る事が出来ました!
楽しいですよ〜
そんな楽しい阿波踊りですが、常に厳しい道のりを歩んでいると言えます。
阿波踊りが徳島城の完成を祝うと同時に誕生したと言う説とは裏腹に阿波踊りは徳島藩から規制の対象とさて来たようです。
阿波踊りは誕生後次第に遊芸化され年を重ねる毎に盛り上がりを見せ城下での喧騒が広がって来た事から、徳島藩は風紀が乱れるなどの理由で実施期間の規制、場所の規制などを設けるようになったそうです。
このような規制は江戸期を通して常に行われていたようですが一方で17世紀後半頃から財政難に苦しみ始めた徳島藩にとっては経済の活性化につながる阿波踊りの規制を強める事は出来なかったようです。
そして現在。
貴重な観光資源の一つとなっている阿波踊りは徳島市にとっては大きな財源となるはずです。しかし残念な事に運営者の管理の不備によって4億2000万円の赤字になっていると報道されています。
阿波踊りの歴史は常に徳島の行政との間でジレンマの道を歩んでいると言えそうですね(ToT)
しかし、この困難を乗り越えるヒントも阿波踊りの歴史の中に隠されているように思います。
阿波踊りは明治初期、戦時等々、歴史の変換期に度々中断されていますが常に不死鳥のように復活して来ました。
更に踊りの動きの変化に着目すると進化を続けているそうです。
江戸時代、明治、昭和と次第にスピーディーな動きになって来ており現在の踊りは大阪万博の時に踊られたものが基本となっているようです。
現在、運営難に陥っている阿波踊りではありますが、是非この苦難を乗り越えて頂きたいですね。そしてこの苦難を乗り越えた時に更に進化した阿波踊になっているかもしれません。
人は苦難に出会うことにより進化します。ある意味阿波踊りの歴史は楽しみながら苦難を乗り越え進化出来る事を教えてくれているのかもしれません。
現在苦難に見舞われている方は楽しい阿波踊りを踊っている気分で苦難を乗り越え進化しましょう!
そうでない人も阿波踊りを踊って楽しみましょう!