次から次に姿を見せては消えて行くその動きはまるで生命を与えられたかのようです。
その連続して現れる渦の様相は自然が紡ぎ出すダイナミックな芸術品と言えるかもしれません。
「鳴門の渦潮(徳島県)」はイタリアの「メッシーナ海峡」、カナダの「セイモア海峡」と並び世界三大潮流の一つに数えられています。
太陽と月の引力。
瀬戸内海と太平洋の水位差。
それによって起きる海面の昇降。
幅の狭い海峡。
そこを日本一の速さで通過する潮流。
海底の複雑な地形。
これらの条件が重なり合って初めて生まれる自然現象が渦潮です。
いつの時代も鳴門周辺に住んでいた人はこの渦潮を見ていたでしょう。
渦潮が見られる鳴門海峡の西側、四国の東の端に位置する鳴門市では旧石器時代のサヌカイト製石核や尖頭器が発見されているそうです。
このことから紀元前13,000年頃からこの地域には人がいたと推測されます。
その後の時代を見ても縄文時代・弥生時代の遺跡、古墳時代の古墳群も存在している事からこの地域には常に人が住んでいた事が分かります。
もし当時の人が見ていたとしたなら渦潮発生のメカニズムを知らない彼らはさぞかし不思議な現象と思ったのではないでしょうか。
鎌倉時代に入ると鳴門を含む阿波国に守護が配置され佐々木氏、小笠原氏がその任を務めました。
室町時代は細川氏によって支配され、戦国時代になると三好氏、長宗我部(ちょうそかべ)氏と続きます。
そして豊臣秀吉の四国攻めにより長宗我部氏が敗れると秀吉に従って従軍した蜂須賀小六(はちすかころく)が阿波国(現徳島県)を与えられ、以降明治維新に至るまで徳島藩の藩主として蜂須賀氏がこの地域を治めました。
鳴門を含む阿波国の支配者は何度も入れ替わって来たわけですがそれが誰であろうと渦潮は何も変わらず鳴門海峡で渦を巻き続けて来た事でしょう。
さて、渦潮を見学する際のお薦めは何と言っても船上からの見学です。
↑渦潮観光船
水面に反射する太陽の光。
時として顔を見せる水飴のような滑らかな水面。
迫り来る渦。
間近に見る渦潮は迫力満点です!
一方、見上げれば巨大な鉄の工芸細工とも言える大鳴門橋が青空をバックに渦潮とは異なる人工的な風景を創り出しています。
↑鳴門大橋
この橋の橋桁下部に設置された長さ450mの遊歩道「渦の道」の先端にある展望デッキから真下を見れば45m下には船から見る渦とは異なる顔の渦が出迎えてくれます。
↑渦の道
↑渦の道の展望デッキから見た渦潮
ところで、前述した豊臣秀吉の四国征伐の際に蜂須賀小六は長宗我部氏の拠点だった一宮城(徳島市)へ向かう為に鳴門海峡を経由したようです。
その頃はもちろん大鳴門橋などありません。
よって当然ながら船を使った事になります。
この時、渦潮の近くを通ったかどうかは分かりませんが、やはりその時も渦潮は変わる事なく渦を巻いていたに違いありません。
余談ですが、蜂須賀小六は一宮城の戦いに小野銀八郎(おのぎんぱちろう)と言う男を伴っています。銀八郎は火薬を用いた「火遁の術」を得意とする忍者でした。銀八郎が仕掛けた火遁の術が一宮城落城へ追い込んだと言う事です。
ところで「鳴門」「忍者」と聞いてピンと来た人がいるのではないでしょうか?
そうです。1999年から2014年まで「週刊少年ジャンプ」連載された「NARUTO -ナルト-」です。
主人公うずまきナルトが様々な困難に立ち向かい成長していく忍者漫画です。
主人公の名前は食べ物の鳴門巻きから来ている事は容易に想像出来ます。
しかし、その鳴門巻きの起源は分かっていないようです。尚、鳴門巻きの「鳴門」は「鳴門」の渦潮から来ているという説がありますが、これを証明する文献は発見されていないそうです。
鳴門巻きは謎に包まれた食べ物の言う事ですね。
さて、鳴門巻きと言えばラーメンですがこの組合せは漫画家の藤子不二雄さんが漫画の中に鳴門巻きを入れたラーメンを描いたのが始まりだそうです。
↑鳴門うどん、、、ラーメンではないですけど(^^;
鳴門巻きと漫画は切っても切れない縁がありそうですね。
そして、この縁は色々な偶然が重なって出来た縁でしょう。
一方、鳴門の渦潮も色々な条件が重なった時に生まれます。
逆に言えば何も無い所には何も生まれないと言う事です。
これは私たちの人生においても言えそうです。
もし何か事を成そうとするならば先ずは行動に移さなければなりません。何もしなければ何も生まれません。
何か事を成そうとした時はまず行動して自分の周りに変化の渦を起こしましょう!