宇治橋の長い歴史と現在をつなぐ建築様式

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普段から見慣れたものや使い慣れたもの、あるいはごくごく一般的なものの中から新しい何かを見つけ出そうとしたらまずその対象に興味を持たなければならないだろう。

京都の伏見方面から車で京都府道7号京都宇治線を南へ向かって走るとやがて宇治川に差し掛かる。ここに架かる橋を渡れば宇治市の中心街へ入って行く。

宇治橋」である。

01 宇治橋

02 宇治橋↑宇治橋

03 宇治川↑宇治川

何も知らなければ普通に通過してしまう橋だろう。

宇治と言えば平等院の鳳凰堂が圧倒的な存在感を持っているため他のものへの興味が削がれてしまうかもしれない。ましてやそれが橋となれば尚更である

しかし興味を持てば宇治橋はなかなか面白い話題を提供してくれる橋だ。

日本三古橋と言うものがある。宇治橋は「瀬田の唐橋」「山崎橋」と並びその一つに数えられている。

04 宇治橋 ↑宇治橋

日本最古とされる平安前期の仏教説話集「日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)」、略して「日本霊異記」と呼ばれることが多いこの説話集の中で宇治橋は飛鳥時代の学僧である旻(みん)などと共に「十師」として挙げられる道登(どうとう)が646年(大化2年)に初めて架けたと伝えている。

そのような古い橋だからそこには色々な話も創出されて来た。

主に古くからある大きな橋では「橋姫」と呼ばれるお姫様が外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られているそうだ。

宇治橋は日本三古橋の一つだから当然古い橋である。

だからと言って良いだろう。宇治橋にも橋姫の話が残されている。

「さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我をまつらん 宇治の橋姫(現代語訳:「むしろ」に自分の衣だけを敷いて独り寝ては、今宵も私を待っているのだろうか、宇治の橋姫は)」

古今和歌集に収められているセンチメンタルで甘美な歌の中に可愛らしい女性として橋姫が登場している。

その一方で平家物語には嫉妬に狂う鬼としての橋姫が現れる。

このギャップには少々戸惑ってしまうが何れにしても宇治橋の歴史は古く橋姫の伝説が残る橋の対象と言う事だ。

さて、平家と来れば源氏だが宇治橋は源氏物語のゆかりの地でもある。

05 宇治橋のたもとにある紫式部の像↑宇治橋のたもとにある紫式部の像

源氏物語そのものは架空の物語であるが最終章の「宇治十帖」は宇治が舞台になっている。このことから、いつのころからか物語の舞台がここであって欲しいと願う人々によって宇治川の周辺には古跡が作られた。

宇治十帖は「夢浮橋」の巻名で終わる。宇治橋はその夢浮橋の古跡である。

06 夢浮橋之古跡↑夢浮橋之古跡

ちなみに宇治十帖の最初の巻名は「橋姫」である。但し、巻名だけで橋姫は出て来ない。

宇治橋をただの橋と見過ごさずに注視すると源氏物語の世界にまで誘ってくれるから面白い。

とこで現在の宇治橋は1996年(平成8年)3月に架けられたもので長さは155.4m、幅25mある。もちろん現代の土木技術を用いて作られているためトラックの通行にも耐えられる近代的な橋だ。

07 宇治橋

08 宇治橋↑宇治橋

そんな現代の宇治橋を注意して見るとこれは何だろうと?と思うものがいくつか存在する。

橋の欄干の上に設けられている玉ねぎのような形をした飾りは何だろうと思う人も多いだろう。

これは擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれ橋に限らず神社仏閣でも見られる伝統的な建築物の装飾である。

09 宇治橋_擬宝珠↑宇治橋の擬宝珠

擬宝珠が取り付けられるのは橋や階段などの両端、及び一定の間隔で並ぶ主要な柱である親柱に取り付けられる。

親柱が木製の場合、擬宝珠は銅、青銅などの金属製である場合が多く雨水などによる木材の腐食を抑える役目もあるそうだ。

擬宝珠の「擬」には「真似た。実物になぞらえた。実物によく似た」と言った意味がある。と言う事は擬宝珠とは宝珠を真似たものになる。

宝珠(ほうじゅ)とは仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと指し仏塔の相輪の最上部などに取り付けられたりする装飾の事である。

よって擬宝珠にはこの宝珠を模した形から擬宝珠と言う説がある。

擬宝珠の取り付けられた欄干の下に視線を移すとスカートのような板が橋全体を覆っているのが分かる。橋桁を隠す為の「桁隠し」と呼ばれるものだ。橋の見栄えに気を配った装飾と言えるだろう。

10 宇治橋_欄干の下にあるのが桁隠し↑欄干の下にあるのが桁隠し

更に川の中に視線の先を移すと橋のすぐ横に一定の間隔で打たれた杭が目に入る。

木除杭(きよけぐい) 」と言って上流から流れてくる木などを橋の下にスムーズに流すためのものだそうだ。

11 宇治橋_宇治橋の右側に打たれた木除杭↑宇治橋の右側に打たれた木除杭

偶然なのか必然なのか分からないが伊勢神宮の内宮の参道口に架かる同名の宇治橋にも同じように木除杭が設けられている。↑宇治橋(伊勢神宮)の木除杭

橋と言うありふれたものだが注意して見ると色々な発見が出来る。

そう言った意味からすると最後に紹介するものは宇治橋に興味を持って頂くには一番の存在かもしれない。

橋の途中に上流に向かって設けられている踊り場のようなスペースがある。

これは「三の間」と呼ばれ守護神「橋姫」を祀った名残と言われている。この三の間で豊臣秀吉は茶の湯の水を汲ませたと言われ10月の茶まつりでは「名水汲上の儀」が行われる。

豊臣秀吉は三の間が橋姫の祀られた場所と知っていたのだろうか?

ともあれここは宇治橋にとって重要な場所であることは間違いない。

13 宇治橋_三の間↑三の間

三の間は古い宇治橋の歴史と現在の近代化された宇治橋を結びつける空間と言えるだろう。

そして今も尚、ここで橋姫は近代化された現代の宇治橋を守り続けているであろう。

たかが橋、されど橋。平等院へ訪れた際は是非とも宇治橋を渡ってその長い歴史を宇治川の流れと共に感じて頂きたい。

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