ボクの名前はヤン坊♪
ボクの名前はマー坊♪
2人あわせてヤンマーだ~♪
誰もが一度は聞いた事があるのではないでしょうか?
「放送開始から半世紀以上過ぎ視聴者のライフスタイルも変わり、天気予報をテレビで視る人が減ってきてしまった」
「海外展開を進める、今の企業イメージにキャラクターが合わなくなってきたため」
「知名度を高める役割を果たした」
などの理由により55年間に渡って放送されて来た「ヤン坊マー坊天気予報」は2014年3月31日を持ってその歴史に幕を下ろしました。
天気予報は終了となってしまいましたがヤン坊、マー坊はメディア露出を控えつつマスコットとして存続すると言う事です。
さて、ヤン坊、マー坊でおなじみのヤンマーさんが運営するヤンマーミュージアムが創業者山岡孫吉(やまおかまごきち)氏生誕の地である滋賀県長浜市にあります。
そのミュージアムに訪れた際にヤンマーの名前の由来を知りました。
『1920年(大正9年)創業者山岡孫吉が石油エンジンを製造した際、トンボが豊作を象徴することから製品商標を「トンボ印」としようとしました。
しかし他のメーカーが商標権を既に取得しており、商標権を買い取る話もでてきたのですが、社員からトンボの王様である「オニヤンマ」から「ヤンマ」としたらどうかという意見がでました。
日本の異称である「秋津島(あきつしま)」を「蜻蛉島(あきつしま)」と書く故事来歴もあり、また創業者「山岡」の姓にも近いということで、1921年(大正10年)商標を「ヤンマー」と決定しました』
と言う事です。
ちなみに「蜻蛉島(あきつしま)」ですがトンボを漢字で書くと「蜻蛉」となります。そしてヤンマはトンボ目トンボ亜目ヤンマ科の昆虫の総称を指します。
日本の異称が「秋津島」と言う事を初めて知ったので他にもないか調べてみたところ多くの異称がありビックリしてしまいました。
葦原中国(あしはらのなかつくに)
豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)
敷島(しきしま)
大八島(おおやしま)
細矛千足国(くわしほこちたるのくに)
大和(やまと)
などなどです。
これらは古事記、日本書紀、万葉集などに出ているようです。但し、これはほんの一部でまだまだ有りますが今回は割愛させて頂きます。
さて日本の異称「秋津島」に関係する名称を持つヤンマーさんですが、ヤンマーさんは世界で初めてディーゼルエンジンの小型化に成功した会社です。
↑世界初の小型ディーゼルエンジン
ディーゼルエンジンはドイツのルドルフ・ディーゼル博士によって発明され、1899年(明治32)年にドイツのMAN社で実用製品化されました。
そしてその世界最古のディーゼルエンジンがヤンマーミュージアムには展示されています。
↑世界最古のMAN社製ディーゼルエンジン
ルドルフ博士の精神を引き継ぎ小型化に成功し、その普及に努めた山岡孫吉氏の功績を讃え贈られたと言う事です。
ところで日本と言う名前の由来についても調べてみました。長くなってしまいますので簡単にまとめると少々間違っているかも知れませんが大体以下の通りだと思います。
大和政権が統一以降に自国を「ヤマト」と称していたようであるが、中国や朝鮮は日本を「倭(わ)」と呼んでいた。
↓
倭には矮小、従順などの意味があり中国が周辺民族への蔑称として倭と呼んでいた為、日本国内ではこの文字を嫌い代わりに同じ発音の「和」を使うようになった。これに尊称の「大」を付け大和と呼ぶようになった。
↓
7世紀初頭に遣隋使(けんずいし)が「日出ずる処の天子が書を日没する処の天子に致す」という書き出しで始まる親書を送った。具体的な時期は定かではないがこの頃から「日出処」が転じて「日本」となった。そこで「倭」に変えて「日本」と言う名称を用いるようになって行った。
↓
701年(大宝元年)に制定された大宝律令によって「日本」と定められた。但し、呼び名は「やまと」とか「ひのもと」と呼ばれていた。
↓
室町時代になって「にほん」「にっぽん」とよばれるようになった。
日本(にほん、にっぽん)となるまでに長い時間がかかったんですね。
以上のような名称の起源をもつ日本は農耕民族の国です。
山岡孫吉氏は「農作業をもっと楽にしたいと」言う思いから小型ディーゼルエンジンを開発したそうです。
ヤンマーは農耕民族である日本人の作業をディーゼルエンジンを搭載した農機で楽にしました。ヤンマーの名が日本の異称に由来するのも必然だったのかも知れませんね(^^)
皆さんも自分の名前の意味を再確認してみてはどうでしょうか?自分の役割を改めて見直す事が出来るかもしれませんよ。
【関連情報】
滋賀県のお土産情報です。