ここは日本?
突然目の前に赤レンガ造りの洋風建築物が視界に入って来たらそのように思うでしょう。
バロック様式とは16世紀後半から盛んになりヨーロッパ各国に広まった美術・建築・文化の様式です。その特徴は彫刻や絵画を含めた豪華な装飾が空間を構成し曲線や楕円が多く用いられた複雑さや多様性にあります。
ヴァチカン市国のサンピエトロ大聖堂やフランスのヴェルサイユ宮殿がその代表的な建築物です。
↑サンピエトロ大聖堂
↑ヴェルサイユ宮殿
そしてネオバロック様式とは、19世紀から20世紀に起こったバロックの表現を踏襲した様式。
日本のネオバロック様式の代表的建築物の一つが北海道庁旧本庁舎です!
赤レンガ造りの建物は海外に行った気分を味あわせてくれること間違いなし!
蝦夷地(えぞち)が北海道と改称された年1869年(明治2年)に北海道開拓の父と呼ばれる佐賀藩士・島義勇(しまよしたけ)が開拓御用掛(かいたくごようがかり)に任命され札幌へ派遣されます。
義勇は北海道庁旧本庁舎の前進となる開拓使札幌本庁舎の建設に着手し1873年(明治6年)に完成させます。
また、京都などを模した合理的な碁盤目状の都市計画は義勇により構想され現在の札幌市街の原型になりました。
↑札幌市街
北海道開拓に大きく関わった義勇ですが、その後、同じ佐賀藩士である江藤新平(えとうしんぺい)と共に1874年(明治7年)明治政府に対する士族反乱・佐賀の乱(さがのらん)を起こし敗退。同年3月に捕らえられ死罪となります。
さて、義勇が手掛けた開拓使札幌本庁舎はどうなったのでしょうか?その後を追ってみましょう。
1879年(明治12年):火災により焼失。
1888年(明治21年):1882年(明治15年)の開拓使廃止から6年後に赤レンガ造りの北海道庁舎として生まれ変わる。
1896年(明治29年):建築上の問題からシンボルとなっていた八角塔を撤去。
1909年(明治42年):再び火災により内部を焼失(赤レンガ壁に損傷は無かった)。
2度も火災にあっているんですね。皆さんも火事には十分注意しましょう。
1911年(明治44年):再建。しかし八角塔は復元されず。
1968年(昭和43年):北海道100年を記念して創建当時の姿に復元(八角塔も復元され現在の姿へ)。
現在は札幌の観光名所の一つとして活躍中です!
もし可能なら夜に訪れてみるのも良いかもしれません。ライトアップされた夜の旧本庁舎は昼間とは違う顔を見せてくれます。
旧本庁舎を見学した後はお腹が減っている事でしょう。その時はせっかくなので札幌ラーメンを食べに行きましょう!
札幌ラーメンは福岡の博多ラーメン、福島の喜多方ラーメンと並び三大ラーメンの一つに数えられています。
札幌ラーメンと言えば味噌ラーメンのイメージが強いですがもともと味噌ラーメンは存在せず正油ラーメンと塩ラーメンだったようです。ちなみに札幌では醤油と書かずに正油と書く事が多いそうです。
味噌ラーメンは「味の三平」さんがお客さんの要望に応えて作ったのが始まりで日本初の味噌ラーメンと言われています。
トッピングにバターやコーンを乗せるようになったのも札幌が初めてのようです。
更に一説によるとラーメンの名前の発祥も札幌だそうです。
さすが三大ラーメンの一つだけあって歴史がありますね♪
ラーメンに味噌、バター、コーンなどの既に存在している食材を加える事により新しいものを生み出したと言えますね。食べ物に限らず、身近にある物を組み合わせる事で何か新しい発見があるかも知れません。皆さんも探してみてはどうでしょうか?