大きな礎石が残る広大な土地。
ここは大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと:福岡県太宰府市)。
↑大宰府政庁跡
大宰府は7世紀後半から奈良・平安時代を通し約500年間西の守りとして、また海外への公式な交渉窓口としての重要な役割を果たした九州全体を治めた役所です。
かつてここへ京都から左遷されて来た人物がいます。
菅原道真(すがわらのみちざね)です。
そしてここから約2.5kmの場所に道真公が祀られた太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)があります。
↑太宰府天満宮(桜門)
↑太宰府天満宮(本殿)
神社やお寺に訪れて願い事を唱えると言う事は自分に無い物をねだるが故の行動なのでしょうか?
学問の神様・道真公が祀られるこの天満宮へは毎年200万人以上の方が参拝に訪れているそうです。
と言う事はこれだけの人が賢くなりたいと願っているわけですかね(^^)
こんな事を思っていたら自分は太宰府天満宮の知識についてかなり欠落している事に気付きました(^^;
菅原道真,天満宮と言えば梅や牛ですよね。梅や牛とはどんな関わりがあったのでしょう?
そして、そもそも天満宮って何なのでしょうか?
こんな初歩的な事を知らないの?と思う方も多くいるとは思いますが賢くなる第一歩として知識を蓄える事が必要です。私を含めまだ知らない人の為に疑問を解いて行きましょう!
道真公はわずか5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を創作するなど神童と称されていました。
このように幼少期より豊かな学才に恵まれた道真公は有力氏族の家柄出身ではないにも関わらず異例の出世を果たし右大臣(うだいじん:日本の律令制における司法・行政・立法を司る最高国家機関の職の一つ。定員1名)の位へと昇りつめます。
しかし、この出世を妬まれた道真公は、時の左大臣(さだいじん:右大臣に同じく最高国家機関の職の一つ。定員1名)藤原時平(ふじわらのときひら)の画策によって大宰府へ左遷させられてしまいます。
小さい頃から梅の花を好んでいた道真公が京都を離れる際、自宅の梅の木に詠んだ別れの歌があります。
「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」(春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ)
太宰府天満宮の本殿の右側に枝を伸ばす御神木。飛梅と呼ばれるこの梅の木には伝説が残っています。道真公の歌を受けた梅の木が京都から一夜のうちに空を翔けて大宰府の道真公の下へ来たと言う飛梅伝説です。
↑飛梅
道真公の梅に対する愛情は相当なものだったのでしょうね(^^)
道真公と梅との関わりから太宰府天満宮への参道には梅に関わる商品が売られています。
↑太宰府天満宮への参道
↑梅干し
↑梅ヶ枝餅(餡を包んだ美味しいお餅です。良く見ると表面に「梅」の刻印が入っています)
大宰府へ移った道真公はその後わずか2年で薨去(こうきょ:皇族の内の皇太子妃や親王・親王妃や内親王、或いは、位階が三位(正三位・従三位)以上の者の死)してしまいます。
道真公の薨去後、藤原時平や右大臣、皇太子などが次々に亡くなったり、京の都では疫病が流行ったり落雷などの災害が相次ぐなど不吉な事が続きました。そしてこれらの原因は「道真の祟り」によるものではないかと恐れられました。
その祟りを鎮める為に醍醐天皇(ごだいごてんのう)の勅によって建てられたのが太宰府天満宮です。
道真公の正式な神号は「天満大自在天神」(そらみつだいじざいてんじん)。「天満」とは「天空に満ちる」という意味。道真公の怨霊が自在天という佛教由来の天主(神)になったと言う意味が込められていると言います。よって天満宮は道真公が祀られた神社と言うことになりますね。
さて、梅と天満宮については分かりました。
では牛は?
↑太宰府天満宮の境内にある牛の像
生涯を閉じられた道真公の御遺骸を安楽寺に葬るための葬送中、車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所が安楽寺の門前でした。これは道真公のここに留まりたいと言う意志によるものと考えられ境内に埋葬されました。後に道真公の墓所の上に社殿が造営されたのが現代に続く太宰府天満宮とされています。
↑太宰府天満宮(本殿)
このような経緯から太宰府天満宮は京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされています。
これで牛との関わりもお分かり頂けましたね。
ところで余談ですが「だざいふ」には「大宰府」と「太宰府」の2種類の漢字が使われている事に気づいたでしょうか?
これらの違いは何なんでしょう?
以下簡単に説明させて頂きます。
大宰府=律令制で、筑前国に置かれた地方官庁。つまり役所の名前。
太宰府=福岡県中西部の行政区域。つまり地名。
よって道真公は「大宰府」の官職として「太宰府」の地へ左遷させられたと言う事になります。
学問の神様・菅原道真の知識を得る事で少し賢くなりましたね。
本当に祟りがあったかどうかは分かりませんが人の才能を妬んで画策などするより少しでも勉強して賢くなった方が後々には自分の為になりますよね。
年齢に関係なく勉強すれば自分の教養が高まります。常に向上心を持って勉強をし続けましょう!
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