時代の流れと共に紙幣の流通方法は変化を続けています。
給料の銀行振込。
オンライン化によるクレジットカードの決済システムの発達。
これらによって現金に触れる機会は確実に少なくなって来ています。
更にここ数年、電子マネーで支払の出来る店舗が加速度的に増えているため益々現金を見る機会は減って来ているはずです。
とは言うもののまだまだ現金を手にする機会はいくらでもありますから紙幣に誰が描かれているかは分かりますよね。
その中でも1000円札は一番お目にかかる機会が多のではないでしょうか?
(↑フリー写真サイトよりダウンロード)
では問題です。
現在の1000円札に描かれている人は誰でしょう?
「野口英世」!
はい、正解です。
使用頻度が多く傷つきやすいことから1000円札だけ5000円札や10000円札と比べて紙の厚さが1割ほど厚い紙を使用しているそうです。
さて、野口英世の前の1000円札は誰が描かれていたでしょうか?
「夏目漱石」!
はい、正解です。
2007年(平成19年)が発行停止ですのでまだ記憶に新しいところですね。
では、野口英世の前は?
「伊藤博文」!
1986年(昭和61年)が発行停止ですので昭和生まれの大半の方は記憶に残っていますよね。
では、その前は?
ここまで来ると答えられる人の数はグッと減るのではないでしょうか?
答えは「聖徳太子」です。
1965年(昭和40年)に発行停止となっています。
それでは、その前は?
もう答えられる方はほとんどいないのではないでしょうか?
答えは「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」です!
そして、この1000円札こそが日本で最初に発行された1000円札であり幻の1000円札と呼ばれています。
第二次世界大戦後はその後始末や復興資金あるいは軍事物資の支払い等々に対しいくらお金があっても足りない状況でした。そのため大量の紙幣が発行されハイパーインフレを引き起こします。
その対策として政府は1946年(昭和21年)2月16日に新円切替(しんえんきりかえ)を発表しました。更に翌日の17日から金融資産の引き出しを制限する預金封鎖を実施し一世帯当たりの月の引出額を500円以内としました。なかば強制に従来の紙幣(旧円)を銀行へ預金させるこの政策と並行して同年3月3日には旧円の市場流通を差し止めします。
初代1000円札は1941年から製造が開始されていた旧円です。戦時中は日本銀行の金庫の中で眠っており終戦直後の1945年(昭和20年)8月17日から流通開始となりました。しかしながら新円切替に伴い1年に満たないまま1946年3月2日で通用停止となってしまいます。
初代1000円札はこのように流通期間が短いこと発行枚数が少ないことから幻のお札と呼ばれています。
因みにこのインフレ対策はある程度の抑止効果はあったもののあまり上手く行きませんでした。
さて、そんな幻のお札の肖像画となった日本武尊は日本各地の神社に祀られています。今回はその内の一つ建部大社(たけべたいしゃ:滋賀県大津市)を紹介しましょう。
社伝では116年、日本武尊の死後、神勅によって日本武尊の御妃・布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が御子・稲依別命(いなよりわけのみこ)と共に住んでいた神崎郡建部の郷(現在の東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)に日本武尊を「建部大神」として祀ったのを創建とし、その後675年に近江守護神として現在の地へ遷座したとしているそうです。
平安時代後半には平治の乱に敗れた源頼朝が伊豆国に流される途中、建部大社に立ち寄って源氏の再興を祈願し、後に大鎌倉幕府を開いたことから、出世開運の神としても崇められています。
さて今回なぜ数ある日本武尊が祀られている神社の中から建部大社を選んだのかです。
それは初代1000円札には日本武尊と共に建部大社も描かれているからです!
現在は拝殿前に屋根が付いているので同じ状景を見ることが出来ませんが確かに建部大社ですね。
ところで当時は1000円で米160俵が買えたそうです。
これを今の価格に換算するとどうなるのでしょうか?
米1俵は60kg。価格の上下差はありますがお米の価格を400円/kgとした場合、米160俵は384万円です。
つまり初代1000円札はこの1枚で384万円の価値があったと言うことです!
驚きですね(((((((・・;)
そんな超高額な初代1000円札に描かれた建部大社はそれだけ由緒あるお寺なのです!
この方面に足を運ぶ機会があれば是非建部大社へも足を運んで下さいね。
お金は使い方によって世の中を良い方向へも悪い方向へも導くことが出来ます。正しい使い方をして平和な世の中にして行きましょう。それを紙幣に描かれた建部大社も望んでいることでしょう。
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