複数のものが合わさって一つになることを複合と云います。
滋賀県北東部の琵琶湖畔に位置する長浜市。
長浜を訪れるまでは「長浜=城下町」と思っていました。もちろん城下町と云うのは正しいのですがそれ以外の側面を何かと持ち合わせているのです。
そのためタイトルを「複合の町」としました。
異論はあるかもしれませんがこの記事を読み終える頃には多少なりとも理解して頂けるでしょう。
長浜は羽柴秀吉(はしばひでよし:後の豊臣秀吉)が築いた城下町です。
元々は「今浜」と呼ばれていたものを秀吉が織田信長の「長」をとって長浜に改名しました。
名前からして複合ですね(^^)
この地方で勢力を誇っていた浅井長政(あざいながまさ)を滅亡へと追い込んだ姉川の戦い(1570年)、小谷攻め(1573年)で功績をあげた秀吉は信長から浅井氏の領土の大半を与えられ長浜城を築城しました。
長浜城は浅井氏の居城であった小谷城(おだにじょう)で使用されていた資材や、竹生島(ちくぶじま)から運んで来た木材、さらには石仏や五輪塔などの墓石まで用いて造られたと考えられています。
長浜城は複合の城と言えますね。
その後、歴史の流れの中で城主は変わって行きますが大阪夏の陣(1615年)で徳川家康が天下を取るとこの地域の支配の役割は彦根へと移されたため長浜城は廃城となりました。
因みに秀吉が築城した当時の資料はほとんど残されていないため、当時の長浜城がどのような様相であったかは定かでないそうです。従って現在の天守閣は犬山城や伏見城をモデルにして復元された模擬天守です。もう少し強調するなら犬山城や伏見城をモデルにして復元された複合模擬天守といったところですかね(^^)
さて、長浜城の廃城後ですが長浜の町は大通寺(だいつうじ)の門前町として、あるいは北国街道や琵琶湖を利用した交通の要衝として発展して行くことになります。
↑大通時
この大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものとされています。つまり大通寺も長浜城との複合のお寺と言えますね。
そしてもうお気づきですね。長浜は城下町と門前町の複合の町なのです。
↑ながはま御坊表参道
話は変わりますが長浜の郷土料理に「鯖そうめん」と云うものがあります。これも「鯖」と「そうめん」の複合料理(?)と言えますよね。
長浜を訪れた際は旅の思い出として食してみてはいかがでしょうか?
さてさて、現在の長浜の町ですがお城でもお寺でもない場所が賑わっています。
それが黒壁スクエア(くろかべスクエア)と呼ばれる伝統的建造物群を生かしたエリアです。
古い建物を利用したガラス工房や美術館、レストランや土産物屋が情緒ある町並みを残しつつお洒落な雰囲気を創り出しています。これもまた新しい物と古い物の複合が成し得たことと言えますよね。
長浜は城下町から門前町へと変化し更には新旧を上手く組み合わせることで相乗効果を生み出し年間約300万人近くの観光客が訪れる観光の町へと変貌を遂げたのです。
常に変化し続けている長浜に訪れた際は色々な複合的側面を楽しんで下さい!
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