坂本の町に見る穴太衆の石垣

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美しい日本の城。

その目的だけに視点を当てたならば芸術性は必要ないはずである。

それなのになぜ美しいのか?

異論はあるかもしれながこの場では理由の一つを石垣にあると結論付けたい。

比叡山の麓に位置する坂本の町(滋賀県大津市)には完璧なまでに洗練された綺麗な石垣が美観を形成している場所がある。

実際に訪れて石垣に沿って歩いてみると何とも言えない心地の良い雰囲気を味わうことが出来る。

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しかしそれらの石垣は城の石垣ではない。

比叡山で修行を経た僧は60歳を過ぎると麓の坂本に下りて住まうといのが習わしだったそうだ。彼らの住む建物は里坊(さとぼう)と呼ばれた。今も尚50近くの寺院がこの地区に密集しているのはその名残である。

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↑里坊の一つだった旧竹林院の庭園

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↑総里坊・滋賀院門跡(しがいんもんぜき)

お察しの通り、石垣は里坊のものである。

これらの石垣は穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工集団によって造られた。

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↑滋賀院門跡の石垣

坂本の町からそれほど遠くない位置に穴太古墳群がある。

古墳の石室は横穴式石室であり同様の構造は朝鮮半島の高句麗(こうくり)や百済(くだら)に見られるという。このことから穴太衆は朝鮮半島からの渡来人に起源を持つと推測されている。

ところで坂本にある里坊に対し、比叡山で僧が修行する建物は山坊(やまぼう)と呼ばれる。山坊にも穴太衆によって築かれた石垣が用いられた。

織田信長は安土城の築城の際、穴太衆に石垣造りを命じている。近世の城郭に石垣が使われ始めたのはこれが発端とされている。

信長は比叡山焼き討ちの後処理を家臣の丹羽長秀(にわながひで)に命じた。長秀は後始末の為に石垣を崩そうとしたが全く崩すことが出来ずその堅牢さを信長に報告したと伝えれらている。

これが安土城の石垣造りを穴太衆に命じたきっかけになったのは想像に難くない。

野面積み(のづらづみ)とは自然石を加工せずそのまま積み上げる方法である。その野面積みでも穴太衆が積み上げた石垣を穴太積みと呼ぶ。

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日本の城の美観の基礎は穴太積みによって造られているものが多い。ここに穴太衆の技術の高さを伺い知る事が出来る。

その技術は現在残る唯一の穴太衆として栗田建設が引継いでいる。

新名神高速道路の甲賀市内の一部区間脇に自然環境との調和を図るために栗田建設の穴太積みが採用されている。

採用に当たって高さ3.5m、幅8mのコンクリートブロックの壁とそれと同じ条件の穴太積みを造り、250トンの圧力をかける実験を行なったとの事である。その結果はブロック壁には亀裂が入ったが穴太積みはわずか10数cmのせり出しが有った程度であり、見事穴太積みに軍配が上がったそうだ。

何事も基礎が重要なことは周知のことである。

穴太積みから学ぶべき事は「美しく強固な基礎の重要性」だけでなく「新しいものが全て良いと言うわけでは無い」と言うことを付け加えておきたい。

坂本の町では古くから伝わる美しく強固な石垣の魅力を味わって頂きたい。

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