水田のパッチワーク。
それとは対照的に単色での広がりを見せる琵琶湖。
綺麗ですね〜
標高280mの八幡山(はちまんやま:近江八幡市)からの眺望です。
八幡山にはかつて豊臣秀吉の甥に当る豊臣秀次(とよとみひでつぐ)が築城した八幡山城が存在していました。今もその遺構として石垣が残 っています。
八幡山は急峻な山のため麓に造られた居館が城の中心として利用されていたとか。現在はロープウェーを利用して数分で登ることが出来ますのでご安心を(^^)
この八幡山の南の平野部に近江八幡の城下町が広がっています。
近江八幡と言う名称は近江八幡と言う神社の名前から来ていると思う方も多いと思いますがそうではありません。
近江八幡の八幡は誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめかみ)の三神が祀られる日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)から来ています。
↑日牟禮八幡宮
ところで近江と言えば近江商人が有名ですね。
近江は滋賀県の旧名です。織田信長が近江を治め安土城を築きその城下に「楽市楽座」を始めとする商業基盤を整備したことが近江商人の繁栄につながったと言われています。
その中で近江八幡は近江商人発祥の地の一つとされ、この地域の商人は八幡商人と呼ばれました。豊臣秀次が八幡山城を築き城下町を構築した際に安土城下や近在の商人が集まったのが始まりとされています。これと相まって城下町の整備の一環として築かれた八幡堀が船や人の往来を産み商業の発達に大きく寄与しました。
現在の八幡堀は情緒豊かな雰囲気を醸し出しドラマのロケ地などに度々利用されています。
↑八幡掘
近江八幡のシンボルとも言える日牟礼八幡宮、八幡堀を含む13.1haの地区は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており同じ域内にある新町通りには近江商人の本宅が立ち並ぶ古い町並みが残されています。
↑新町通り
町そのものが観光客を呼び寄せると言う商売上手な町と云う事になりますね(^^)
さて、近江商人の流れを汲む、もしくは何らかの関わりがあり現代まで続く主な企業として
「高島屋、西武グループ、伊藤忠商事、丸紅、ヤンマー、日清紡、東レ、ワコール、トヨタ自動車、日本生命、武田薬品工業」
などなど日本の有名企業が名を連ねています。
ここまで多くの企業が発展した理由は近江商人の理念、行動哲学が大きく関与しているのではないでしょうか?
特に「売り手よし 買い手よし 世間よし」の「三方よし」の理念は広く知れ渡っていますね。
因みに、意外かもしれませんが実際のところ「三方よし」と言う用語は存在せず戦後の研究者が近江商人の理念を分かりやすく標語化したものだそうです。
一方、現在の世界経済に目を向けるととんでもない事が起きています。
貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム」は2016年1月18日「世界で最も裕福な62人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じだ」とする報告書を発表しています。
「三方よし」の理念を世界中に広めたいところですね。
ところで「三方よし」の理念を生んだ近江商人の発祥の地の一つである近江八幡市は市制を施工(1954年)する際に最初は八幡市として申請しようとしたそうです。ところが既に福岡県に八幡市(やはたし)が存在したため旧国名の近江を頭に付け近江八幡市としたそうです。
しかし現在京都府に八幡市(やわたし)が存在します。これは1963年に福岡県の八幡市が近隣の4市と合併し北九州市となった後に京都府の八幡市が市制を施工したため同名回避をする必要なく八幡市と名付けることができたからです。京都府の八幡市の市制施行は1977年ですから近江八幡より後に誕生した市です。
そんな経緯で八幡市を名乗ることが出来なかった近江八幡市ですが結果的には近江商人の「近江」が付いたことで逆に差別化を図り知名度を上げることが出来たのではないでしょうか。
これもある意味画一化が主体のグローバルリズムと一線を画する「三方よし」の理念を用いたことになるかもしれませんね(^^)
近江八幡に訪れた際は風情のある町並みを観光しながら「三方よし」の理念を学びましょう!
【関連情報】
滋賀県のお土産情報です。