「とにかく広くて大きい!」
他に表現の仕方があるかもしれません。しかしこれがこの城に訪れた時の素直な感想です。
大阪平野を南北に伸びる丘陵地「上町台地(うえまちだいち)」の北端に堂々たる容姿を構える日本最大級の城郭!「大阪城」です。
1583年、豊臣秀吉の命によって築城が開始されます。1585年に絢爛豪華な装飾をまとった天守が誕生し、その後も秀吉が没する1598年まで城造りは続けられました。
↑大阪城内にある豊国神社と豊臣秀吉の像
難攻不落の巨大な城の完成が秀吉の人生における総仕上げだったと言って良いかも知れませんね。
秀吉の死後、代わって諸大名の筆頭に立った徳川家康は関ヶ原の戦い(1600年)を経てほぼ天下を手中に収めました。
が、しかし豊臣家の威勢は残り家康の悩みの種となっていました。
1614年、豊臣家との戦に踏み切った家康ですが突破口を見出せません。そこで和睦に持ち込むため威嚇の大砲を天守に向けて放ちました。これに脅威を感じた豊臣方は和睦に応じます。
その時の徳川方の出した条件が外堀を埋めてしまうことでした。
↑外堀
これが「大坂冬の陣」です。
堀が埋められてしまった大阪城は裸同然となってしまい翌年の1615年「大坂夏の陣」で難攻不落の城は落城してしまいます。
↑大阪城落城
現在、私達は復元された大阪城を目にすることが出来ます。しかしこれは豊臣時代の城ではありません。
私達が見ることの出来る大阪城は天守も含め豊臣時代の城郭の2倍の大きさに拡張されています。
どういうことなのでしょうか?
大阪夏の陣での落城後、徳川幕府2代目将軍・徳川秀忠は西日本に残る豊臣方の大名にその権威を知らしめ豊臣の影響力を抑え込むために秀吉の築いた城郭を全て覆い隠して徳川の城を築き上げたのです。
秀忠は普請奉行の藤堂高虎に堀も石垣も豊臣の2倍にするよう念を押したとか。
そんな理由からとてつもなく大きな城郭となったのです。
その大きさを象徴するものの一つは何と言っても石垣でしょう。
本丸東側面にある堀に築かれた石垣に至っては高さ32mもあり日本一です。
↑本丸東面内堀
一方、石垣を構成する石に注目しても中途半端なことはされていません。
例えば大手門にある「見付石」の表面の広さは畳29枚分。城内4番目の大きさです。
↑大手門
↑見付石
天守へ続く桜門をくぐると更に大きな石が視界に入ります。左の方に蛸が寝ているようなシミがあることから「蛸石」と呼ばれているこの石は畳36枚分の表面積を持ち城内一の大きさを誇ります。
↑桜門
↑蛸石
このように徳川の城で覆い尽くされてしまった豊臣時代の城の遺構は地面を深く掘らなければ目にすることはできません。
ちなみに天守近くに地下へ続く縦穴があるのですが残念ながら一般公開されていません。
↑地下へ続く縦穴
さて徳川時代の城の下に眠る豊臣時代の城ですが更に下には別のものが眠っています。
浄土真宗の寺院「石山本願寺」です。
戦国時代初期から安土桃山時代にかけて、浄土真宗の本山となって発展した石山本願寺は寺院とは言え堀と堤に囲まれた城そのものだったようです。しかし1580年、長年敵対していた織田信長と和議を結び寺を明け渡した後に消失してしまいます。
この石山本願寺の跡地に城を築いたのが豊臣秀吉です。
更に石山本願寺の前には古墳時代の古墳があったとされています。
実際に大阪城近くのNHK大阪放送局と大阪歴史博物館が建っている場所から古墳時代の5世紀後半と推定される高床式倉庫群が発掘されているそうですからその信憑性は高いと言えるでしょう。
ところで大阪城南外堀の近くから飛鳥時代の都「難波京(なにわきょう)」の宮殿「難波宮(なにわのみや)」の遺構が発掘されています。
この付近の地名は「烏瑳箇(ヲサカ)」と呼ばれていたようです。これが小坂(おさか)となり石山本願寺の時代に大坂(おおざか)となり江戸時代中期頃から大坂と大阪が併用され明治以降に大阪(おおさか)が定着したと言うことです。
大阪城は大阪発祥の地に立っていると言えますね。
ちなみに大坂から大阪に変わったのは大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いからとか、あるいは明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛くと読めることから、とか言った説があります。
と言うことで大阪城も「大坂城(豊臣時代)→大坂城/大阪城(徳川時代)→大阪城(現代)」と変化して来たことになりますね。
↑大坂城(豊臣時代)
↑大坂城/大阪城(徳川時代)
↑大阪城(現代)
そして大阪城の場合は名前と共に姿も変化させて来たわけですが現在の大阪城の天守は?と言うと
下層階が徳川時代の天守で上層階が豊臣時代の天守という複合天守になっています。
賛否はあると思いますがここでは豊臣と徳川が仲良く混在していると言うことで一件落着と言うことにしましょう(^^)
大阪城の歴史は「古墳→大坂城(豊臣時代)→大坂城/大阪城(徳川時代)→大阪城(現代)」と積み重ねられた歴史と言えます。
本当に重要な物は年輪のように何層も重なり大きく成長すると訴えているようです。
大阪のシンボル大阪城に訪れて年輪を重ねることの重要性を学びましょう!