『ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは』
(歌意:遠い昔、数々の不思議なことが起こっていたという神代でさえも聞いたことがありません。川面一面に紅葉が散り浮いて流れ、この竜田川の水を真紅色の絞り染めにするとは)
この歌は競技かるたに情熱をかける主人公・綾瀬千早の青春を描く漫画「ちはやふる」の由来となった平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)が詠んだ歌です。
「ちはやぶる(ちはやふる)」は「神」あるいは地名の「宇治」にかかる枕詞で「勢いが強いさま」を表します。
漫画「ちはやふる」の作者・末次由紀(すえつぐゆき)さんはインタビューで「“勢いの強いさま”という“ちはやふる”の本当の意味を、主人公が知り表現していく物語なのだと思う」と答えているそうです。
そして、この漫画「ちはやふる」に描かれている全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会の会場となっているのが近江神宮(滋賀県大津市)です。
↑漫画「ちはやふる」のポスターと近江神宮の楼門
近江神宮では、その他にも競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦、高松宮記念杯歌かるた大会、大学選手権大会なども開催され、かるたの聖地となっています。
なぜ近江神宮がかるた選手権の会場になったのでしょうか?
その理由を探ってみましょう。
近江神宮は初代天皇である神武天皇が即位してから2600年の佳節に当たる1940年(昭和15年)に天智天皇を祀る神社として創建されました。
↑近江神宮(外拝殿)
↑近江神宮(内拝殿)
天智天皇は大化の改新(646年)の中心人物として知られる中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)の事です。
中大兄皇子は667年に飛鳥から近江国滋賀郡(現滋賀県大津市)に都を移し近江大津宮(おうみおおつのみや)を築いた翌年の668年にこの地で天皇に即位しています。日本で最初の律令法典となる近江令(おうみりょう)もこの地で制定されたと言われています。
『秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ』
(歌意:刈り取られた稲の見張り小屋で、ただひとりで夜を明かしていると、葺いてある屋根の苫の編み目が粗いので、私の着物はぐっしょりと夜露で濡れ続けていることよ)
「小倉百人一首」の第1首目に詠まれている歌です。
この歌こそが、かるた選手権の会場として近江神宮が選ばれた理由です。
実はこの歌は天智天皇が詠んだ歌なのです。
そうです。つまり天智天皇が主祭神の近江神宮は小倉百人一首の出発地点とも言えるのです!
↑近江神宮境内に掲示されている小倉百人一首
ところで、競技かるたの大会と言えばなんと言ってもかるたを取る素早いスピードに驚かされますよね。スピードとは要するに時間の事です。競技かるたは時間が勝敗を決める一つの要素になっていると言えますね。
その時間もかるたと同様に近江神宮と深い関わりがあります。
近江神宮の境内に漏刻(ろうこく)と呼ばれるサイフォンの原理で複数の水槽をつなぎ一定速度で水が溜まるように工夫された水時計が有ります。
↑漏刻
なぜ、こんな物が境内にあるのでしょうか?
日本書紀に「漏刻(ときのきざみ)を新台に置きて始めて候時(とき)を打ち鐘鼓をならす。始めて漏刻を用ふ。この漏刻は天皇の皇太子にまします時に始めてみづからつくりたまふ所なり」とあるそうです。
ここに出て来る天皇とは天智天皇を指し、漏刻は天智天皇が即位前の皇太子の時、つまり中大兄皇子と呼ばれていた頃に作ったと書いてあるのです。
そしてこの時計こそが日本で最古の時計と言われています。
また、中大兄皇子が天皇に即位し天智天皇となった時に近江大津宮に新たな漏刻を整備したと伝えられているそうです。
近江神宮の境内にある水時計は日本最古とされる水時計の復元模型と言う訳です。
近江神宮の境内には水時計以外にも各地の時計業者から寄進された日時計や4000年前に中国で使用された古代火時計の復元模型、あるいは世界の時計約2300点を集めた時計をテーマとする時計館宝物館などが設置され時計三昧の時を過ごせます。
↑日時計
↑古代火時計
↑時計館宝物館
「時は金なり」
競技かるたの一瞬の時間も、水時計や日時計が刻むゆったりとした時間も全てはお金と同様に貴重なものです。浪費せずに大切に使いましょう!
【関連情報】
滋賀県のお土産情報です。