伊吹山の薬草は何に利用すべきでしょうか?

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「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」

芭蕉の詠んだ句です。

「伊吹山は月の力など借りなくても、そのままで立派な山だよ」と言う意味になります。

伊吹山(いぶきやま)は滋賀県と岐阜県にまたがり滋賀県側に属する山頂部が標高1,377 mの美しい山です。↑伊吹山↑伊吹山にある芭蕉の句碑↑一等三角点(三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点)が置かれている山頂部↑伊吹山山頂部↑伊吹山山頂部からの眺望

芭蕉はその外観を見て冒頭の句を詠んだと思いますがその外観を覆う植物もまた伊吹山の魅力の1つと言えるでしょう。

伊吹山は日本では高尾山に継いで2番目に植物の種類が多い山であるとする調査結果があるそうです。

それを裏付けするかのように山頂にあるお花畑には伊吹山固有の植物種が見られる他、その種の多様性の高さから極めて学術的価値が高いとして国の天然記念物「伊吹山山頂草原植物群落」に指定されています

↑お花畑の花々

話はそれますが美しい花々に囲まれた伊吹山は花と言う物柔らかなイメージとは別に江戸時代まで荒々しい山岳修行の山だったと言う一面を持ち合わせています。

「日本三代実録」には平安時代前期の僧・三修(さんしゅう)が伊吹山に山岳寺院を建立した事が記録されており、かつては伊吹山が山岳信仰の場であった事を伺わせています。

1989年(平成元年)に再興された山頂にある伊吹山寺はその名残と言えるでしょう。↑伊吹山寺

同じく山頂の弥勒堂のある辺りは三修の墳墓であると言い伝えられているようです。↑弥勒堂

このように古くから歴史の断片に現れる伊吹山ですがその古さは「古事記」「日本書紀」の神話の時代にまで遡る事が出来ます。

古事記では「白猪」が、日本書紀では「大蛇」が伊吹山の荒ぶる神として現れ、これを鎮めようとした日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は戦い敗れ伊勢に戻る途中で亡くなったとされています。

伊吹山は日本武尊が致命傷を受けた地と言えますね。↑伊吹山山頂部にある日本武尊の像↑伊吹山山頂部にある白猪の像

さて、話を伊吹山の植物に戻しましょう。

伊吹山の植物の中でも特に注目すべきは薬草です。

伊吹山には「伊吹三大薬草」とされるヨモギ、トウキ、センキュウを始め280種近くの薬草が生息しています。

その為、伊吹山では薬草ソフトクリームや薬草の入浴剤が販売されています。また、伊吹山の裾野にある伊吹薬草の里文化センターのいぶきの湯では薬草湯に浸かることが出来ます。↑薬草ソフトクリーム↑薬草の入浴剤↑伊吹薬草の里文化センター

伊吹山に訪れた際は是非これらも堪能して下さい。

ところで薬はその反対の価値としても利用出来ます。それは毒です。

例えばトリカブトは日本三大有毒植物の一つに数えられる強い毒性を持った植物ですが処方を上手く施せば漢方薬になります。

伊吹山ではトリカブトも生息しています。

ここでもう一度日本武尊の話に戻しましょう。

古事記や日本書記が当時の出来事を物語調にして書き記した文献としたならば、実際の話は日本武尊が伊吹山一体に勢力を延ばしていた豪族と対峙した際にトリカブトの矢に撃たれたと想像を膨らませる事も出来ます。

もしかしたら薬草の生息する伊吹山だからこそ出来た神話かもしれませんね。

このように伊吹山には古来より薬草が生息していたようですが薬草の山として有名になった理由の1つに、ある人物が伊吹山に薬草園を開いたからと言う説があります。

さて、誰でしょうか?

答えは織田信長です。

信長が安土城を拠点にしていた頃、ポルトガルの宣教師フランソワー・カブラルの進言によりヨーロッパから持って来た薬草を植えて薬草園を開いたそうです。

この薬草園の記述は江戸時代初期の文献「南蛮寺興廃記」「切支丹宗門本朝記」「切支丹根元記」などに記録されているとの事です。

そして信長が薬草園を作った理由の1つとして興味深い説があります。

薬草の中には火薬の原料となる品種もあり、特にヨモギは黒色火薬の原料の一つである硝酸を含む事から、信長は治療薬と鉄砲に使う火薬の元となる薬草を栽培する為に薬草園を作ったと言うものです。

如何ですか?

トリカブトも、ヨモギも、その価値をどこに求めるかによって全く異なるものになってしまうと言う事ですね。

GPS、インターネット、あるいはMRIなどはもともと軍事利用を目的として開発された技術ですが今は平和利用されています。

技術や物に限らず何事も新しい取り組みをする時は初めから相手に幸せを与える事を目的に考える事を心掛けたいものですね。

伊吹山の薬草はそんな事を気づかせてくれる良い薬となりました。

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