同じものでも見せ方によって異なるものに見せる事が出来ます。
更にその見せ方によっては素晴らしいものとなります。
●明るい光に照らされて輝く。あざやかに見える
●周囲のものとの対比によって一段と美しさが目立つ。引き立って見える
「映える」の意味です。
近年、インスタグラム によって映える画像が巷を飛び交っていますね。
インスタ映えの対象となるアイテムは色々ありますがかき氷も種々多様なものが登場してインスタグラムの投稿画像の必須アイテムの1つになっています。
そんなインスタ映えするかき氷の先駆けとも言えるかき氷はなんと言っても鹿児島発の「白くま」ではないでしょうか!赤や緑の寒天。
たっぷりかかったミルクとシロップ。
オレンジやパイナップルなどのフルーツ。
てっぺんにはさくらんぼ。
見ているだけで楽しくなって来ますね。
しかも美味しい!
白くまの語源は白いかき氷にトッピングされた干しぶどうが目となり白くまに見えるからなのだとか。
その始まりは鹿児島市の喫茶店「むじゃき」創始者の久保武さんが考案した事に端を発しているようです。
↑天文館むじゃき本店
さて、白くまの起源は鹿児島にありますが日本でかき氷はいつ頃から食べられているのでしょうか?
記録によればそれは平安時代にまで遡ります。
「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる(現代語訳:細かく削った氷に甘いつゆをかけて、新しい金の椀に盛りつけたもの)」
清少納言の「枕草子」の「あてなるもの(上品なもの、良いもの)」の段に、この文が残されています。
いつの時代も女性は最先端のスイーツに敏感だったと言えますね(^^)
このように平安時代から食べられていたかき氷ですがもしかしたら古墳時代には既に食べられていた可能性があるかもしれません。
と言うのも、日本書紀には氷連(むらじ)という姓(かばね:氏族の尊卑を表すための階級的称号)が登場し、朝廷のために氷室を管理した職が存在したことがうかがえるからです。
ところで、かき氷は暑い夏に食べるのが一番美味しく感じますよね。
しかし、冷蔵庫や製氷機の無かった時代において夏の氷は超高級品だった為、一般庶民には手の届く物ではありませんでした。
例えば江戸時代には毎年、旧暦の6月1日(現在の7月上旬)に加賀藩の前田家が氷室に保存しておいた氷を将軍家に氷を届ける「氷献上」が夏の風物詩として人気を呼んでいたそうです。
それほど貴重だった氷ですが明治に入ると製氷機が現れ庶民も手に入れる事が出来るようになりました。
明治時代のかき氷の記録を1つ紹介しましょう。
五代友厚(ごだいともあつ)は欧州からの帰国の際に製氷機を3台持ち帰りました。この製氷機を使ったのかどうかは分かりませんが小松帯刀(こまつたてわき)は大久保利通(おおくぼとしみち)に「かき氷を食べに来ませんか」と手紙で誘っているそうです。
この3人は、白くまの発祥の地・鹿児島出身の薩摩藩士であり、明治維新の立役者達です。
薩摩藩と言えば諸藩より先に海外の最先端技術を積極的に取り入れた革新的な藩であり、それが明治維新の原動力となりました。
鹿児島は現代の最先端コミュニケーションツールの1つであるインスタグラムの出現に備えたかのようにインスタ映えするかき氷「白くま」を生みました。↑白くまの巨大サンプル
鹿児島の人達はいつも時代を先取りする感性を備えているのかも知れませんね(^^)
現在、白くまはアイスクリームとして全国どこでも手に入れる事が出来ます。しかし、出来立てのかき氷として食べるにはやはり鹿児島で食べるのが一番です。
鹿児島を訪れた際は鹿児島の郷土料理(?)となった本場の白くまを是非堪能して下さい!