安倍氏ゆかりの安倍文殊院は今も安倍氏と関わりを持っているのでしょうか?

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今にも動き出しそうな獅子の猛々しい面構え。

その上に座す文殊菩薩(もんじゅぼさつ)はそれとは対照的に落ち着いた知的な表情を浮かべています。

鎌倉時代を代表する仏師・快慶(かいけい)によって彫られたこの仏像は安倍文殊院(あべもんじゅいん:奈良県桜井市)の本堂に祀られ、文殊菩薩としては日本一の高さの約7mを誇り、横に付き従う4体の脇侍と合わせて国宝に指定されています。↑文殊菩薩の像(写真撮影禁止の為、境内にある看板を撮影したものです)↑安倍文殊院_本堂

文殊菩薩は智慧を司る菩薩ですがそれによってあることわざが生まれました。

もうお気付きですね。

三人寄れば文殊の智慧」です。

安倍文殊院は智恩寺(ちおんじ:京都府)の切戸文殊(きれともんじゅ)、大聖寺(だいしょうじ:山形県)の亀岡文殊(かめおかもんじゅ)と共に日本三文殊に数えられています。↑安倍文殊院_表山門↑安倍文殊院_本堂へ続く参道

ちなみに中国・九州地方では大聖寺の代わりに文殊仙寺(もんじゅせんじ:大分県)が、近畿・四国地方では竹林寺(ちくりんじ:高知県)が日本三文殊の1つとして数えられています。

文殊菩薩が三人揃ったらどれだけの智慧になるのでしょうかね???

安倍文殊院は645年に阿部倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が現在の寺の南西約300mの地に安倍一族の氏寺として「安倍寺」を建立した事に起源を持ち、鎌倉時代に現在の地へ移されました。

そのような経緯からなのでしょう、阿部倉梯麻呂の墓と推定される西古墳が本堂と同じくらいの存在感を持って境内に堂々と鎮座しています。

さすが創建者の墓ですね(笑)↑安倍文殊院_西古墳

その他、安倍一族の氏寺だけあって安倍一族ゆかりの人たちと何らかの関わりを持っています。

例えば、遣唐使の一員として唐に渡り日本への帰国が叶わなかった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の生誕地とする説があります。

仲麻呂が彼の地で詠んだ

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(現代語訳:天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ)」

は有名な詩ですね。↑阿倍仲麻呂の句碑

あるいは陰陽師で有名な安倍晴明(あべのせいめい)もこの地で修行したそうです。

念のためにお伝えしておくと、阿部と言う姓は平安時代以降に安倍と称されるようになったようです。↑安倍文殊院_阿倍仲麻呂、安倍晴明が祀られる金閣御浮堂

ところで安倍文殊院の創建者である阿部倉梯麻呂は朝廷の最高機関である太政官(だいじょうかん)の職位の1つ左大臣に最初に就いた人物です。

太政官の長官は太政大臣(だいじょうだいじん)ですが太政大臣は功労者を待遇する名誉職としての意味が強く、また常設職ではなかったことから、左大臣が太政官における事実上の最高位でした。

左大臣は1885年(明治18年)内閣制度の発足に伴い廃止となっています。

さて、「三人寄れば文殊の智慧」の三人は同じレベルの人である事が前提となっています。よって、この三人に上司や目上の人を含む事は失礼に当たりますから気をつけて下さいね。

言い換えれば三人の内の誰かが突出していてはいけないと言う事です。

少々話はズレますが三人の実力が同じであればその均衡は保たれると言う良い面があります

現在(2019年8月時点)の内閣総理大臣は安倍晋三首相ですね。

安倍内閣は三本の矢を掲げて政策に取り組んでいます。

この三本の矢も均衡を保たせながら進める事がポイントかもしれません。

安倍氏と関わりがあるとされる安倍首相は2010年「第90代内閣総理大臣 安倍晋三」の名義で安倍文殊院に石塔を寄進しているそうです。

少し強引ではありますが太政官の左大臣にあたる官職は内閣制度に置き換えると、その首長である内閣総理大臣と言えます。

賛否両論のある安倍内閣ではありますが安倍氏とゆかりのある安倍晋三首相が太政官制の初代左大臣の阿倍倉梯麻呂のご利益を得て日本がより良い方向へ向かう事を願いたいです。

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