歴史の古さと、そこに隠された不思議や謎の数は比例するのでしょうか?
木造の建造物世界最古を誇る法隆寺ほど有名で尚且つ不思議や謎に満ちたお寺は他に無いでしょう。
用明天皇(ようめいてんのう)の第二皇子として574年に誕生したのが厩戸皇子(うまやどのおうじ)、後の聖徳太子(しょうとくたいし)です。
聖徳太子はご存知の通り、大陸の先進的な制度や文化を取り入れるため遣隋使を派遣したり、冠位十二階や十七条憲法を定めたりするなど中央集権国家としての体制の礎を築いた人物とされています。
法隆寺はその聖徳太子の父である用明天皇の病気の回復を願って607年に創建したとされています。
境内の広さは約18万7千平方メートル。東京ドーム4個分に相当し、敷地内には120以上の建造物が並び1993年には日本で初めて世界遺産として登録されています。
これだけの規模で世界最古の木造建築物となれば不思議や謎も多くて当たり前かもしれません。
では、どんな不思議や謎があるのでしょうか?
探ってみましょう!
法隆寺が毎年、門徒らに発行する「法隆寺手帳」というものがあり、そこに七不思議が記載されているそうです。
つまり法隆寺公認の七不思議と云うことになります。公認とは少々驚きですね(^^)
1.クモが巣をかけない。実際のところクモの巣はかかっているそうです。
2.南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石があり大雨の時、魚はここまで泳いできたが、それ以上は水位が上がらないことを示すものと言われている。
↑南大門
3.五重塔の相輪(塔の先端の棒状のもの)には鎌がささっている。実際は落雷防止のようです。
↑五重塔
4.不思議な伏蔵がある。伏蔵とは地下の蔵のことだそうですが、これは実際に存在するようです。
5.カエルの片目がない。西院伽藍と東院伽藍の間にある因可池に住むカエルの鳴き声が勉学に差し支えると感じ、聖徳太子が目をついたところ池のカエルが全て片目になったと言われているそうです。
6.夢殿の礼盤(僧が座る台)の下に水が溜まる。礼盤を日光に当て、陽の光により帯びる水気の量によって豊作か凶作かの占う儀式があるそうです。
7.雨だれの穴が地面にあかない。これは法隆寺の土地の水はけのよさを表現したとされ、実際のところ雨だれの穴はいくつも見られるそうです。
以上が公認の七不思議です。面白いですね。しかし、これ以外も不思議や謎は存在します。
◆中門の中央になぜか柱がある。
↑中門
◆金堂の中には釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊があるが三体とも御本尊。
↑金堂
◆法隆寺の塑像群の中に「トカゲのような容姿をした人物」が混じっている。
◆中門の中心線と大講堂の中央線が一致していない。
◆法隆寺は仏法鎮護のためだけでなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられとされる説がある。
等々です。「等々」としたのは、まだまだ不思議や謎があるからです。更に詳しく知りたい方はネットで調べて下さいね。色々ありますよ。
ところで法隆寺を創建したとされる聖徳太子自身にも謎があります。
聖徳太子は預言者だった?
五重塔には聖徳太子の予言が隠されていると云うのです。
五重塔の1階~5階にはお釈迦様が入滅してから500年毎の世界が描かれているそうです。そうなると5階はお釈迦様の入滅後2500年後の世界となります。その5階には「戦争や争いが盛んになり 白法が沈む(白法=仏教の正しい教え)」とあるそうです。
お釈迦様の入滅は諸説ありますがそのレンジを調べた限りでは紀元前624年〜紀元前383年の間に収まります。
一番遅い入滅の年の紀元前383年から2500年後を計算すると2117年となります。
今は2016年ですので後100年間は戦争や争いが盛んな時代が続くと読み取れます。私たちはこの聖徳太子の予言が当たらないように、そして平和な世の中が来るように努力をしなければいけないと云う事になりますね。
一方で、この予言を信じる信じない以前に聖徳太子自身が実在の人物ではなかったと云う説が最近浮上しています。
厩戸皇子が実在したのは確かなようですが、彼が聖徳太子であったかどうかが疑問視されています。
もし、聖徳太子が存在しなかったとなると法隆寺は一体全体誰が創建したんでしょうね?
「火のないところに煙は立たない」
聖徳太子の予言しかり、不思議や謎には何かメッセージが隠されているかもしれません。このメッセージを解明して行くと以外な発見につながるかもしれません。
法隆寺に訪れた際は探偵になった気分で謎の解明を試みてみましょう!