緑の山あいに巨大な石を積み上げたその姿は周りの風景に溶け込もうと遠慮がちに佇んでいるのだろうか?
それとも堂々とした威風を誇示したいのだろうか?
見る人によって様々な表情を見せる事だろう。
石舞台古墳(奈良県明日香村)はそんな雰囲気を醸し出している。
石室を造り上げている石の総重量は約2300トン。天井石だけで約77トンもある。
昭和初期の発掘調査によってかつては50メートル四方の巨大な二段築成の方墳であったと結論付けされている。現在は一段目の墳丘と周りの堀が復元されている。
↑一段目の墳丘と堀
蘇我馬子(そがのうまこ)は大化の改新(たいかのかいしん:646年)で暗殺された蘇我入鹿(そがのいるか)の祖父に当たり、古墳時代から飛鳥時代にかけて蘇我氏(そがし)全盛の礎を築いた人物である。
石舞台古墳はその蘇我馬子の墓と言うのが通説だ。
しかし、これはあくまでも通説でしかない。と言うのも実際に石舞台古墳が初めて文献に現れるのは江戸時代になってからの事であり石舞台古墳の長い歴史の大部分は推測の域から脱していないからである。
だから石舞台古墳は未だ多くの謎に包まれている。
例えば、通常であれば古墳に納められているはずの石棺は石舞台古墳では発見されていない。石舞台古墳脇に展示されている石棺は石室から発見された岩の破片を石棺の一部と予測し復元されたものだ。
↑復元された石棺
夢と幻想、実際にはあり得ないような空想や冒険の世界、あるいは魅惑的で不思議な雰囲気などを持つ事柄を総称して「ロマン」と呼ぶ。
と言う事であれば江戸時代まで文献が残される事なく真実が明らかにされていない石舞台古墳に対して少々常識を飛び越えたロマンを抱く事は許されるのではないだろうか?
石室を覆っていた盛り土が失われ巨大な石室がむき出しになっているのが石舞台古墳の特徴である。
しかし、なぜ盛り土が失われたのかは解明されていない。
そもそも他の古墳を見た時に同じように石室がむき出しにされた巨大な古墳を見ることは無い。
と言う事は、もしかしたら最初から盛り土は無かったのかもしれない。
世界各地に分布しているドルメンと呼ばれるものがある。
ドルメンは日本語では支石墓(しせきぼ)と言う。
アイルランド、オランダ、ポルトガル、フランス、スペインなどヨーロッパに多く見られるがインドネシア、イスラエル、中国、韓国などでも見られるそうだ。
↑アイルランドのPaulnabroneにあるドルメン(出典:ウィキペディア)
このような視点で見ると石舞台古墳は元々盛り土など無く石をむきだしにして造られたドルメンだった可能性が出て来てもおかしくはない。
さらに話を飛躍させるならドルメンは墓ではなく何らかの共通の目的を持って世界各地にネットワークを張り巡らされた建造物の一つかもしれない。
例えばイギリスのストーンヘンジもドルメンの一種とみなされることがあるようだ。その他、太陽崇拝の祭祀場、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられている。そう言った説の一つに古代の天文台と言うものがある。
↑ストーンヘンジ(イギリス)
宇宙的な視点から追求していけば他の国のドルメンと何らかのつながりを持たせる事だって出来るかもしれない。
真実が解析されるまでは何事も否定せずにいた方があらゆる可能性につなぐ事が出来るから面白いだろう。
石舞台古墳と名付けられた理由として「狐が女に化けて石の上で舞を見みせた」という伝説があるそうだ。もしかしたらこれだって伝説なんかでは無く本当に起きた事かもしれない。
もし石舞台古墳に訪れたなら、そんなバカなことあるわけ無いと思わずに石舞台古墳を見学してみては如何だろうか?
あなたのロマンの扉が開き新しく新鮮な世界に触れる事が出来るだろう。
【English WEB】
http://japan-history-travel.net/?p=5447