相互関係を維持する「美濃和紙」と「うだつの上がる町並み」

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清らかな水は美と文化を創造する。

日本三大清流の一つ長良川が市の中央に流れる岐阜県美濃(みの)市

この長良川の清流を使用して古くから作られて来たものがあります。

美濃和紙です。

日本で本格的に紙の生産が始まったのは8世紀中頃とされ、東大寺の正倉院に保管されている正倉院文書(しょうそういんもんじょ)によれば美作、出雲、播磨、美濃、越などで紙漉(かみすき)が始まったと記載されているようです。

また、年代の分かるものとして現存する最古の和紙は、正倉院に残る美濃、筑前、豊前の戸籍用紙との事です。

およそ1300年の歴史を持つ美濃和紙は和紙の原点と言っても過言ではありませんね。

更に日本が近代化されJIS規格(※1921年の発足時は日本標準規格。2019年に日本工業規格から日本産業規格に変更)が定められると江戸時代の公用紙だった美濃判がJIS B列の基準となりました(※JIS B列は国際標準化機構の定めるISO B列とは異なる寸法)。

近年ではその価値が認められ2014年には「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」として、島根県浜田市の「石州半紙(せきしゅうばんし)」、埼玉県小川町・東秩父村の「細川紙(ほそかわし)」と共にユネスコの無形文化遺産に認定されています。

まさに日本を代表する和紙ですね。

世界遺産に登録された美濃和紙の紙作りを経験したいと言う方がいましたら是非行って頂きたい場所があります。

美濃和紙の里会館」です!ここでは、美濃和紙の展示を見学出来ると共に紙漉の体験が可能です。
↑美濃和紙の紙漉体験

以上が美濃和紙の説明となりますが、この美濃和紙によって築き上げられたと言っても良いものがあります。

それは美濃市の中心部に残る古い町並み「うだつの上がる町並み」です!

「うだつ(卯建)」とは日本家屋の屋根と屋根の間に取り付けられる防火壁の事を指します。↑うだつ

その起源は平安時代にまで遡り、本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことを言っていましたが、後に自家と隣家との間の屋根を少し持ち上げた部分を「うだつ」と呼ぶようになったとの事です。

江戸時代中期頃になると、うだつは装飾的な意味に重きが置かれるようになり、その事は自己の財力を誇示するための手段として用いられました。

つまり、財力があればあるほど立派なうだつを上げられたと言う事です。

逆に立派なうだつを上げられない家は財力に乏しいと言う事になります。

これが出世しない、生活が向上しない事を意味する慣用句「うだつが上がらない」の語源になったと考えられています。

さて、美濃市のうだつの上がる町並みは、このうだつが日本で一番多く上がっているそうです。

では、うだつの上がる町並みを見学しましょう!

風情の漂う町並みは如何でしたでしょうか?

うだつには色々な形がありますね。

この町並みの原型は関ヶ原の戦い(1600年)の武功により徳川家康から美濃の地を拝領した金森長近(かなもりながちか)の町割りによって造られました。

金森長近の町割が完了すると町は長良川を利用した船運による物資集散の拠点となり、加えて美濃和紙が幕府・尾張藩御用紙になる事で経済活動の拠点と成長して行きます。

明治維新を迎えると紙漉業に必要だった免許の制限がなくなり製紙業が急増。国内の需要の高まりや海外市場の進出などもあり、美濃は紙と原料の集積地として栄えました。

このような美濃市の中でも最大規模の大きさを持つ家が紙の卸商を営んでいた今井家です。

当然、この家にはうだつが上がっていますし、美濃和紙が使用されています。

現在は旧今井家住宅資料館として見学する事が出来ますので少し見学しましょう。

立派な住宅ですね。

もう一つ、この旧今井家住宅の特筆すべきものに触れておきたいと思います。

水琴窟の音色です。↑水琴窟

この水琴窟の音色は環境庁認定「日本の音風景百選」に選ばれています。水琴窟の音としては唯一ここだけです。

では、その音色を聞いて下さい(下記の「水琴窟の音色」をクリックして下さい)。

水琴窟の音色

美しい音色で癒されますね。

さて、美濃和紙によって築き上げられたと言っても良いうだつの上がる町並みには「美濃和紙あかりアート館」があります。

こちらも少し見学してみましょう。

美濃和紙の美しさを堪能して頂けましたでしょうか?

本物は互いに共鳴し合う

清らかな水によって作られた美濃和紙とうだつの上がる町並みはお互いが共鳴し合って美と文化を一段上のものへ引き上げています。

そんな事を感じさせてくれる美濃に是非訪問して下さい!

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美濃のお土産情報です。

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