多度大社の歴史を通して馬と神社との関わりを学びましょう

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柔らかな緑の隙間から漏れる光の破片。

厳かな雰囲気を醸し出しつつも優しさを感じる参道。

↑多度大社参道

その参道の奥に佇む本宮と別宮。↑本宮(左側)、別宮(右側)

三重県桑名市の多度山(たどやま)の麓に鎮座する多度大社です。

多度大社は本宮の多度神社、別宮の一目連神社(いちもくれんじんじゃ)の他、摂社(せっしゃ:本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祀った神社)及び末社(まっしゃ:本社に付属し、その支配を受ける小社)を総称して多度大社と呼びます。↑摂社の一つ美御前社(うつくしごぜんしゃ)

本宮の御祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと)と言い、伊勢神宮の主祭神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)の三男にあたります。↑本宮(多度神社)

別宮の御祭神は、天津彦根命の子であり鍛冶の神であるとされている天目一箇命(あめのまひとつのみこと)と言います。↑別宮(一目連神社)

本宮と別宮は多度両宮(たどりょうぐう)と呼ばれ、二つのお社が揃って建てられているところをみると仲の良い親子だったのかもしれませんね。多度大社の創建は古く、社殿によると古墳時代に在位していたとされる雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の時代と伝えられているそうです。

歴史の変遷の中で織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失すると言う災難にあいながらも桑名藩主・本多忠勝(ほんだただかつ)により再建(1605年)されると言う浮き沈みも経験しています。

古い歴史を持つ多度大社ですが、最も注目すべき点は天下の奇祭と呼ばれる上げ馬神事(あげうましんじ)でしょう。

上げ馬神事は毎年5月4日・5日に流鏑馬(やぶさめ)神事を含む多度祭の一つとして執り行われ十数万人の参詣者が訪れる賑やかな神事です。

境内に設けられた上げ坂とばれる急な坂道。↑上げ坂

坂を上り詰めたところに待ち構える2mほどの絶壁。↑2mの絶壁

そこを人馬とともに駆け上ります。

神と馬との関係は深く、馬の行動を神意のあらわれと判断するところから上がりきった人馬の数や順番によって、その年の豊凶を占います。

以上が上げ馬神事の概要です。

想像しただけでも馬の勇壮さが伝わって来ますね。↑上げ馬神事(出典:境内の案内板)

上げ馬神事は、南北朝時代に桑名を治めていた武家から始まったと伝えられていますが前述した織田信長の兵火により社記・古記録が散逸し、その起源は明らかになっていません。

現在の上げ馬神事は本多忠勝により再興され、歴代藩主の庇護を受けながら今に至っています。

ただ、多度大社に残る白馬伝説からその起源を想像する事は可能です。

多度大社には1500年前から白馬が棲み、その馬は人々の願いを神に届けるため翼を与えられたように、その姿を変えて神の下へと走り去ると、人々の幸せや出会い、喜びを乗せて、再び多度大社の地へ舞い降りてくると語り伝えられています。

上げ馬神事はこの伝説を具現化したものなのかもしれません。

ところで神社に行くと馬の銅像や等身大の作り物の馬が祀られています。これらを神馬(しんめ)と呼びます。

日本の在来馬の起源は古墳時代まで遡り、モンゴル高原から朝鮮半島を経由し、対馬・九州に家畜馬として導入した蒙古系馬にあると言う事です。

奈良時代になると祈願のために馬を奉納する習わしが発生しました。神が人間世界にやってくる際の乗り物として馬は神聖視されたのです。

これが神馬の成り立ちです。

しかし、小規模な神社では馬の世話などが重荷となります。あるいは高価なため献納する側にとっては大きな負担となります。

そこで、本物の馬に変わるものが生まれました。

それが絵馬です。

絵馬は神社と馬との深い関わりを示すなごりと言うわけですね。

ところで、古くから馬は人の感情を理解し、それに敏感に反応していると言われて来たました。その一方で科学的な研究はほぼされていなかったようです。しかし、2018年に北海道大学が馬は人の感情を読み取るという研究成果を発表しました。

本物の神馬を飼育している神社はそれほど多くありません。しかし当然と言えば当然ですが馬との関わりの深い多度大社には本物の神馬が飼育されています↑多度大社の神馬

この神馬には餌を与える事も出来ます。

荒れた感情を持っていると食べてくれないかもしれません(^^;

常日頃からおおらかな感情を持っていることが肝要ですね。

上げ馬神事は年に2日しか見る事が出来ませんが、その拝観場所である多度祭御殿は見る事が出来ます。↑多度祭御殿(左側)と上げ坂

多度大社に参拝する機会がありましたら、神馬に会って上げ馬神事の勇壮さを想像してみましょう!

 

 

 

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