現代と過去をつなぐ長篠堰堤の美しい景観

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深緑に染まった川の色は白い絹の織物となって下流へと流れて行きます。

水が紡ぎ出す芸術品といえるでしょう。

この芸術品を創り出しているのは長篠堰堤(ながしのえんてい)です。

堰堤とは河川の水を堰(せ)き止めるための構造物。ダムより小規模なものを指し、貯水する事は出来ず堤防としての機能もありません。主な役割は土砂災害の防止です。

ダムとの違いはダムは貯水量が多いため水力発電が可能ですが、堰堤は貯水機能が備わっていないため発電が出来ません。

長篠堰堤は1912年(明治45年)愛知県新城市を流れる豊川を堰き止めて築かれました。

その目的は発電です。

「えっ?さっき堰堤は発電できないって言ったじゃん」て思いますよね。

ダムと堰堤がはっきりと区分けされたのは1964年(昭和39年)に新河川法が制定されてからです。高さ15メートル以上の構造物がダム、15メートル以下を堰堤として分類されています。よって、1964年以前は区分けが曖昧だったためダムとして建造されたものでも堰堤と呼ぶことがあります。

ですから長篠堰堤は堰堤と言いつつもダムなのです。

まるでナイアガラの滝のような美しさを持つ長篠堰堤は白水ダム(大分県竹田市)、藤倉ダム(秋田県秋田市)と並び日本三大美堰堤の一つに数えられています。但し、ナイアガラの滝のような部分は堰堤ではなく余水吐(よすいばき)と呼ばれる部分で、余水吐から岩をつたい流れ落ちる水がナイアガラの滝のように見えると言うわけです。

余水吐とは発電用施設の停止時や使用水量以上の流入時に取水を河川に戻すための施設を指します。もう少し長篠堰堤について説明しましょう。

木曽川の電力開発を行ない、後に関西電力・中部電力・北陸電力の前身とも言える大同電力株式会社の初代社長を務め「電力王」と呼ばれた人物がいます。

福沢桃介(ふくざわももすけ)です。

福沢と聞いてピンと来ましたよね。

桃介の旧姓は岩崎ですが福沢諭吉の婿養子となったため福沢姓に変わっています。

長篠堰堤は当時桃介が経営改革のため社長に就任していた豊橋電気株式会社によって築かれました。

提高8m、提頂長25.4m。ダムで取水した水は導水路を経由して900mほど下流にある長篠発電所に送られています。

長篠発電所は日本で最初に縦軸式発電(水を垂直に落とし、タービンを回して発電機を縦軸でつなぐ方式)を採用した発電所です。そしてこの方式は本家のナイヤガラ発電所と同様の方式な為、ナイアガラ型発電と呼ばれています。余談ですが本物のナイアガラの滝の現在の景観はダムによる人工的な操作の結果維持されています。

どう言う事なのでしょうか?

ナイアガラの滝では莫大な水量が流れ落ちる為、かつては年間約1メートル上流側へ移動すると言う浸食問題を抱えていました。1678年頃は現在の位置より300m以上下流にあり、滝の形もほぼ真っすぐだったそうです。

この問題を解決するための条約が1950年に締結されたナイアガラ条約でした。発電の増強と滝の浸食を抑える事を目的に水を迂回させても良いというルールが設けられたのです。

これにより滝の後退速度は年間約10cm程度と従来の10分の1に減りました。

ナイアガラの滝の景観も長篠堰堤のナイアガラの滝のような景観も大小の違いはあるものの発電施設によって維持されていると言えるでしょう。

人工物により自然と調和の取れた美しい環境が維持出来ると言う良い事例ですね。ところで長篠と言えば火縄銃を用いた戦いで有名な長篠の合戦(1575年)を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?

実は、この長篠堰堤のある場所は長篠城址からも近く長篠の合戦古戦場の一部と言って良い場所なのです。

長篠の合戦で武田軍の兵士は、この長篠堰堤のある場所まで敗走して来ました。武田軍の笠井満秀(かさいみつひで)は総大将の武田勝頼(たけだかつより)の馬が疲弊したのを知ると自分の馬を勝頼に勧めてここを立退かせ、自ら武田勝頼と名乗って織田軍の瀧川助義(たきがわすけよし)と刺し違えて戦死したのです。↑瀧川助義・笠井満秀相討ノ地

彼らが組討ちしたすぐ裏には橋詰さんばし跡があります。

武田軍が架設した桟橋(丸太橋)があり、その橋を争って渡ろうとした多くの兵士たちが渕に落ちて亡くなったそうです。↑橋詰さんばし跡

長篠堰堤は美しい景観をここで亡くなった兵士に見せる事でその魂を慰めているのかもしれませんね。

また、長篠堰堤のすぐ横にある花の木公園ではニジマス釣りが楽しめます。亡くなった兵士たちは寂しい思いをせずにすみます。↑花の木公園

そして、長篠堰堤に貯められた水によって発電された電力は今も尚、主としてJR飯田線へ送電され、この地方を往来する現代人にとって欠かせない役割を果たしています。

長篠堰堤は過去と現代をつなぐ役割を果たしているのかもしれません。

この地方を訪れる機会があれば歴史の交差する長篠堰堤に是非お立ち寄り下さい!

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