白壁と黒い板が調和した家。風情のある石畳の細い道。全てが絶妙に融和し美しい景観を保つ昔ながらの街並み。ただ歩いているだけで心が癒されます。
「二王座歴史の道」は大分県臼杵(うすき)市にあります。
さて、話は変わりますが春日局(かすがのつぼね)を知ってますよね。何をした人かは知らなくても一度は聞いたことのある名前ではないでしょうか。
春日局は徳川幕府の3代目将軍・家光の乳母。後半生には大奥の公務を取り仕切るようになり組織的な整備を実施し大奥の礎を築いた人でもあります。
春日局と言う名称は朝廷から賜った称号であり、正式な名前は斎藤福(さいとうふく)と言います。父親は美濃国の名族斎藤氏の一族で明智光秀の重臣でもあった斎藤利三だそうです。
なぜ急に「春日局」が出て来るのかって?
実は二王座歴史の道に関係しているんです。
道沿いに美濃の雄・斎藤道三(織田信長の正室・濃姫の父親)が好んで使った瞿麦(くばく=大和なでしこ)の紋章が入った棟瓦を使った屋敷があります。この屋敷は斎藤道三の流れを汲む斎藤氏の屋敷です。斎藤氏は関ヶ原の戦い以降、臼杵の地に居を構えていたようです。
だんだん話が見えて来ましたね。
臼杵藩2代目藩主・稲葉典道が、その頃夫と離別し不遇の身であった斎藤福(春日局)を引き取り二王座の辺りに住まわせた事があったようです。斎藤福(春日局)の母親は稲葉氏の流れを汲む稲葉一鉄の姪にあたり、父親は既に説明した通り斎藤利三です。斎藤利三はかつては稲葉一鉄の家臣でもあったそうです。
この様な事情から、斎藤福が斎藤氏の屋敷にもいた事が想像され現在もこの屋敷を局屋敷と呼ぶ人がいるそうです。
春日局が臼杵とつながりが有るなんて想像した事ありますか?
一見関連性がなさそうな事も、実はつながっている事の例えですね。
二王座歴史の道と春日局から、もの事の見方を教えてもらった気がします。
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