旭山動物園は開拓の精神が受け継がれているのかも?

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2013.08.13-089-1.00 Japan_北海道_旭川_旭川兵村記念館

北海道の歴史は開拓の歴史でもあります。

薩摩藩士である黒田清隆は戊辰戦争、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮をとり、後に開拓長官として北海道の開拓を指揮した人物です。

屯田制を北海道に取り入れると言う考えは、明治初年から各方面で浮上していたようですが、正式には黒田が明治6年(1873年)に太政官に屯田制を建議し、この提案が受け入れられ、翌年の明治7年(1874年)に屯田兵例則が定められました。

屯田とは兵士を辺境に土着させ新しく耕地を開墾させ、平時は農業に従事させ自らを養い、戦時には軍隊に従事させる制度。そして、屯田兵とは明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊及び家族の事を言います。

北海道旭川市の前身・旭川村へ屯田兵が入植したのは明治25年(1892年)。屯田兵第三大隊の大三中隊と第四中隊の兵士とその家族、合せて400戸2,334人が入地しました。

入植時の旭川は一月二月ともなると氷点下度以下の日が幾日も続き、平均気温も今日とくらべて5、6度は低かったようです。今ほど暖房設備が整っていなかった当時、入植者の方々の苦労は計り知れないものだった事でしょう。

さて、旭川といえば旭山動物園ですね。旭山動物園はかつて廃園に追い込まれそうなほど経営に苦しんだ時期がありますが現在では全国各地から大勢の観光客が訪れる大人気の動物園です。

私は旭山動物園を訪れた際に、さまざまな面において全力で取り組んでいると言う事を感じました。確かに建物や規模からしたら都会の動物園には見劣りする部分はあります。それにも関わらず全国から観光客が訪れているのはなぜでしょう?

やはり全力で取り組んでいる事が魅力となり全国から人を呼び込む原動力となっているのはないでしょうか?北海道開拓時代に培われた取り組みが知らず知らずのうちに受け継がれて来たのかもしれませんね。

旭山動物園から約3km。旭川市街向かう途中に旭川兵村(あさひかわへいそん)記念館は有ります。この記念館は資料館となっており、開拓時代の暮らしぶりを垣間見る事が出来ます。隣接して屯田入植者の方達によって建てられた旭川神社もあります。

時間に余裕のある方は動物園の帰りに開拓時代へタイムスリップしては如何でしょうか?

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