三十三間堂(京都市東山区)。正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
長寛2年(1165年)に後白河上皇(ごしらかわじょうこう)が平清盛の資材協力により創建したものです。しかし、約80年後に焼失、文永3年(1266年)に再建されました。その後、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれていた桃山時代、武士が弓の腕を競い合った毎年恒例の「通し矢」が始まったとされている江戸時代、等々の長い歴史の中で幾度の大修理を続け現在に至ってます。
世界で一番長い木造建築とされる三十三間堂の全長は約120メートル。この長い御堂が700年近く無事だった理由の一つには、その優れた免震構造にあります。最近の建築工法も耐震構造から免震構造へ移行されて来ていますが700年近く前に造られた三十三間堂が既に免震構造だった事には驚かされます!
さて、三十三間堂の「間」は日本独自の長さの単位の「間」ではなく柱と柱の間の数と言う事です。実際に120メートルと言う長さを「間」に換算すると1間は約1.8メートルなので六十六間堂と言う事になります(笑)
ところで個人的に勝手な解釈をすると三十三間堂のキーワードは「1000」と言う数字にあるように思えます。
●御堂に安置されている仏像は中央の巨像(中尊)を中心に左右に各500体、両側合せて1,000体。
ところで、なぜ1000体なのか?本当の理由は分かりませんが仏教では、過去・現在・未来の三劫(劫とは、最長の時間の単位)にそれぞれ千体の仏が現れるのを三千仏と言い、一般に現在の劫に現れる仏を千体仏と呼ぶことからこの教えを元に千体の仏像を作ることになったのではないかと言う事です。
●お祀りされている仏像は千手観音(正しくは十一面千手千眼観世音 じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおん)。
ちなみに、千手観音の実際の腕の本数は42本です。胸の前で組んだ2本の腕を除いた40本の腕の、1本1本が「25の世界」を救う、と考えられているので、「25の世界×40本の腕=1000の世界を救う」から、千手観音、と呼ばれているそうです。
●「三十三」は観音に縁のある数字で『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによるようです。俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」と言われるのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからだそうです。
どうです?「1000」と言う数字がキーワードに思えませんか?
ここで重大発表があります!
な、な、なんと三十三間堂には1,000体(中央に安置されている中尊は除く)の観音様は祀られていません。
1,000体の内の1体は京都国立博物館、1体は奈良国立博物館、3体は東京国立博物館に寄託されているとの事です。いつ頃から貸し出されているのか知りませんが、戦前からと言う話もあるようです。つまり半永久的に三十三間堂には戻って来ないと言う事???
「1000」がキーワードでないかも。。。人から何か借りたら、必ずかえしましょうね(^^;)
※堂内の写真撮影は残念ながら禁止の為、外観のみの写真を添付致します↓