鬼は本当に存在したのか?別府の鬼のルーツは?

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別府

日本の約10分の1を占める源泉数は2,300ヶ所以上!

湧出する湯量は日量125,000キロリットルにも及び日本最大級!

そして、白い湯けむりが街のあちこちから立ちのぼる風景!

別府(大分県)は名実ともに泉都の名にふさわしい温泉地です。

そんな別府の温泉は古くは奈良時代の書物にその存在が確認出来るそうです。「伊予国風土記」には、「伊予の国(愛媛県)で、少彦名命(すくなひこなのみこと)が病で倒れたことに嘆き悲しんだ大国主命(おおくにぬしのみこと)が、豊後水道の海底に長いパイプを敷いて別府の温泉を道後へ運び、少彦名の命を入浴させたところ病気が回復した」と記されているようです。

同じく奈良時代に編纂された「豊後風土記」には、血の池地獄について「赤地獄」という名で記されてると言う事です。

鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)(1274年と1281年)の際には九州の軍政を担当した大友頼泰(おおともよりやす)が傷を負った武士を癒すため療養所を作ったという記録が残されているそうです。

そして江戸時代には儒学者であり、本草学者であり、生物学者でもあった貝原益軒(かいばらえきけん)が「豊国紀行」に「別府は石垣村の南にあり。民家百軒ばかり、民家の宅中に温泉十ヶ所あり、何れもきよし、庄屋の宅中にあるは殊にいさぎよし」「町中に川あり、東に流る、この川に温泉湧出す」などと記したそうです。

さて別府と言えば地獄めぐりが有名です。地獄と言えば鬼を想像する人も多いのではないでしょうか。

別府には鬼に関連した商品や名称・地名が多く見られますが別府と鬼との関連は、まんざら歴史的な事実とかけ離れていないようです。

仏教思想と共に中国・朝鮮から鬼と言う思想や言葉が日本に入って来たのは6世紀頃のようです。この当時朝鮮半島の新羅(しらぎ)や百済(くだら)から日本に渡来して帰化した民族は王仁(わに)、和邇(わに)と呼ばれ筑紫や豊国(現在の福岡県、大分県地方)で勢力争いや反乱を起こしていたようです。

以上の事から推測すると大陸側から伝わった鬼と言う思想が勢力争いや反乱を起こす(鬼のように暴れる様を連想させる)渡来民族の王仁(わに=おに)・和邇(わに=おに)と血の池地獄などの地獄を連想させる温泉が重なり合い別府の地に鬼の名残を色濃く残したのではないかと言う事です。

様々な事象が重なり合うと新しい事物が生まれる原因になりうると言う事ですね。

さあ!別府の温泉で鬼とも仲良くなって良い湯に浸かりましょう♨

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