巨大な木の芸術品、あるいは木工細工とでも言ったら良いのでしょうか。
人工物でありながら周囲の山と見事に調和しています。
日本人なら。いや、そうでなくても、その景観には誰もが魅了される事でしょう。
清水寺(京都市)は778年(宝亀9年)に法相宗(ほっそうしゅう)の僧・延鎮(えんちん)が開山し、798年(延暦17年)に時の征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が仏殿を建立したと伝えられています。
現在の姿は1633年(寛永10年)に徳川家光の寄進により再建されたものです。
清水寺と言えばもちろん「舞台」ですよね!
「清水の舞台から飛び降りる」
有名なことわざですね。実際に飛び降りた人はいるのでしょうか?
1694年(元禄7年)の江戸時代中期から1864年(元治元年)の明治維新直前の間に未然に引き留められたものを含めて234件も飛び降りたそうです。
飛び降りた理由は自殺ではなく、観音様に願いをかなえてもらうための願行だったと言う事です。飛び下りても生きていれば願いがかない、死んでも成仏できると考えられていたようです。
ではなぜこのように飛び降りたくなるような中空にせり出した舞台が出来たのか?
平安時代より観音信仰の人気の高まりによって参詣者が増加した為、その順番待ちの場所として拡張したと言われています。
舞台はどのように支えられているのでしょう。
ラーメン(Rahmen)構造とは部材がジャングルジムのように縦と横に格子状に組まれ、接合部分がボルトや溶接などで頑丈に固定された構造を指します。
ちなみにラーメンはドイツ語で額縁を意味し、食品のラーメンではありませんのでお間違えのないように(^^)
清水の舞台はこのラーメン構造によって支えられています。
しかし、清水寺の場合、接合部に釘などの止め具は使用されていません!
柱に穴があけられ、そこに梁(はり)が通されています。これを貫構造(ぬきこうぞう)と呼びます。
さて、このような構造に支えられた清水の舞台ですが、舞台という名の通り、御開帳などの特別な法会の際には能や狂言、雅楽等が奉納されます。
その他、ハープ、ピアノ、津軽三味線等々の演奏会も行われ、2005年には「クリスチャン・ディオール2005秋冬コレクション」が開催されています。
ところで清水の舞台床には木曽・天竜産の檜(ひのき)板が張られているそうです。
檜舞台。。。「檜の板で張った能楽・芝居などの舞台。転じて、自分の腕前を示す晴れの場所」
まさに檜舞台ですね!
↑舞台からの眺め
ではでは、誰が最高の演技をしたのでしょうか?
柔と剛の対決!
直線の力強い攻撃を円を描くように軽くかわす!
イメージ的にはこんな感じでしょうか。
義経と弁慶の闘いです。
「義経記」(ぎけいき)では清水寺が義経と弁慶の最終決戦の場になっているそうです。
義経と弁慶の闘いの場は五条大橋のイメージが強いのですが清水寺と言う説もあるんですね。
実際に清水寺で対決したのか分かりませんし、演技ではありませんが清水の舞台でのMVPはこの2人が獲得ですかね(^^)
演劇は舞台で演技をする人だけでなく多くの裏方さんの力が必要です。
これは演劇だけに限った事ではなく仕事や日常生活においても言える事です。自分が檜舞台に立った時も常に周りの人の協力があって成り立っている事を忘れないようにしましょう。
清水の舞台に立ったら誰でも主役です。その時はこの事を思い出して下さいね♪
【English WEB site】
http://japan-history-travel.net/?p=4663