大王わさび農園から探る安曇野の地名の由来

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大王わさび農園

日本食に欠かす事の出来ないわさび!

近年の世界的な日本食ブームにより外国人のあいだでもWASABIの名前が知れ渡るようになって来ました。

01 大王わさび農園

わさびの栽培方法は渓流や湧水で育てる沢わさび(水わさび)と畑で育てる畑わさび(陸わさび)に大別されます。

長野県安曇野市の大王わさび農場(だいおうわさびのうじょう)は沢わさびにおける日本最大級のわさび農場です!

02 大王わさび農園

03 大王わさび農園

農場内では、わさびソフトクリーム、わさびジュース、わさびコロッケ等々、わさびをふんだんに使用した食べ物が訪れた人達の舌をうならせます。

年間約120万人が訪れると言う大王わさび農場はわさびのテーマパークと言っても過言ではないでしょう。

そんな農場のほぼ中心に近い位置に大王わさび農園の名前の由来にもなっている魏石鬼八面大王 (ぎしきはちめんだいおう)が祀られた大王神社が建立されています。

04 大王わさび農園_大王神社

05 大王わさび農園_大王神社

八面大王とは、何ともおどろおどろしい名前ですが、どのような人物なのでしょうか?

色々な伝説が残っているようですが、それらを私的にまとめると少々間違っているかも知れませんが大体以下の通りになると思います。

その関わりは全く想像できないところから始まります。

日本史の教科書に出て来る漢委奴国(かんのわのなのこくおう)と刻まれた金印。

覚えていますか?

金印は志賀島(しかのしま:福岡県福岡市東区)で出土したとされています。

この志賀島を根拠地とした民族が安曇族と言われおり、奴国王は安曇族の首領と言う説もあるようです。

磐井の乱(いわいのらん)。。。。。527年(継体21年)にヤマト王権と九州北部の豪族・筑紫君磐井(つくしのきみいわい)率いる磐井軍が交えた戦です。

安曇族はこの戦で磐井軍に付いたようです。

磐井軍は敗北し磐井は斬られてしまいますがその子の葛子(くずこ)は難を逃れ安曇族と共に日本海を北上して長野県中部に逃れたとされます。それが現在の安曇野です。

そしてこの筑紫君葛子こそが八面大王と言う伝説が残されています。

八面大王を「やめのおおきみ(八女大王)」と読んで、福岡の八女との繋がりがあるとも考えられています。ちなみに、福岡県八女市にある九州北部最大の古墳は筑紫君磐井の墓とされているそうです。

このことからも八面大王が九州北部から来た事が想像できます。

安曇野の地に逃れた八面大王はその後、中央政権の北伐軍との戦いに敗れるのですが、あまりにも強かったため、再び生き返らないようにと遺体はバラバラにされ胴体が大王わさび農園の一角に埋められたとされています。

06 大王わさび農園_大王窟 ↑八面大王が住んでいたとされる岩屋を再現した大王窟

以上が八面大王と安曇野の名前にまつわる伝説です。

ところで安曇とは海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ、津見(つみ)は「住み」を意味する事から安曇は「海に住む人」を示すそうです。

安曇族は航海術に長けた海洋民族だったそうですから正に海に住む人と言う事になります。

安曇野市穂高地区にある穂高神社には安曇族の祖神である海神「穂高見命(ほたかみのみこと)」が祀られており、山に囲まれた内陸部にも関わらず毎年9月には何艘もの船をお互いにぶつけあう壮麗な御船祭りが催されています。

穂高神社の御船祭りは伝説を実話に近付ける断片なのかも知れません。

安曇野では至るところに北アルプスから地下水が湧き出しており、その水量は日量70万tと言われ、大王わさび農園に引かれる湧水は一日12万トンだそうです。

07 大王わさび農園

08 大王わさび農園

海洋民族だった安曇族は内陸部でありながら豊富な水源のある安曇野を自分達の領地として選んだのかも知れませんね。

綺麗な水によって育てられたピリッと辛いわさびはほんの少しの量で料理の味を引き立ててくれる大人の味です。会議などで話がまとまらない時は声を荒げたりするのではなくわさびのような切れの効いたスマートな大人の対応をしたいものですね(^^

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