赤レンガに覆われたレトロな西欧建造物と日本の歴史的な木造建造物がミスマッチでありながらも見事に融合!
和洋折衷と言う言葉が良く似合う風景を創り出しています。
南禅寺(京都市左京区)境内のこの一角はドラマのロケ地としてよく使われるためご存じの方も多いでしょう。
建設当時は景観を損ねると言う理由から反対の声もあがったようですが、その一方で見物人が殺到したと言います。
当初から京都の観光名所だったんですね(^^)
1888年(明治21年)に完成したとされるこの西欧建造物の正式名称は水路閣(すいろかく)と言います。
洒落た名前ですよね。明治の人のセンスの良さが伺い知れます。現代人だったら間違いなく横文字の名前をつけますよね(^^;
この水路閣は琵琶湖疏水(びわこそすい)の一部に当たります。
疏水とは他の水源から水を引く目的で土地を切り開いて造られた水路の事を言います。
幕末から明治にかけての京都は禁門の変(蛤御門の変)で町の大半が焼け落ち、明治維新により都は東京へ移され、人口は減少。更に産業も急激に衰退して行くと言う憂き目に遭っていました。
この状況を打開する為、水車動力、灌漑、工業用水、舟運、工業用水などを目的に1885年(明治18年)、琵琶湖疏水の建設が着手されます。
琵琶湖から京都盆地に水を引き入れる考えは古くは田畑を潤す事を目的として平清盛、豊臣秀吉の望みでもあったと言いますから約700年越しの実現と言う事になりますね。
この琵琶湖疏水の建設とそれにより導かれた豊富な水資源が多くの日本初のものを生みだしました。
以下、順不同で紹介させて頂きます。
■ 第一トンネルは鉱山以外の竪坑(たてこう)工法を使って掘られた日本初のトンネル。
※竪坑工法とは地表から垂直または垂直に近い傾斜で掘り下げる工法。
■ 日本初の商業用水力発電所が稼働。
■ 日本初の商業用水力発電所によって造り出された電力は日本初の電気鉄道(電車)の営業運転に使用された。
■ 近代上水道のための水源として建設された蹴上浄水場(けあげじょうすいじょう)は日本初の急速濾過式浄水場。
■ 日本初の鉄筋コンクリート橋が琵琶湖疏水上に架けられた。
■ 蹴上と南禅寺の船溜りを結ぶインクラインが日本初の施設として建設された。このインクラインは当時世界最長だった。
※鋼索(こうさく)すなわちケーブルが繋がれた車両を巻き上げて運転する鉄道をケーブルカーと呼びますが、ケーブルカーの呼称は通常旅客営業を目的とする鋼索鉄道に使われ、産業用に建設された貨物用の鋼索鉄道を通常インクライン(日本語では傾斜鉄道)と呼びます。
↑南禅寺の船溜まり
↑インクライン
■ 日本初ではありませんが少し余談です。銀閣寺近くの散策路として有名な「哲学の道」は琵琶湖疏水沿いに作られています(^^)
↑哲学の道
以上のように多くの日本初を創生した琵琶湖疏水ですがもう一つ忘れてはならない日本初のものがあります。
それは琵琶湖疏水そのものです!
当時の日本の技術では無謀とさえ言われながらも高度な技術を用いて完成された琵琶湖疏水は日本人のみの手によって設計・施工された日本初の大土木事業なのです。
人間はジャンプをする際に一度屈伸しなければ跳ね上がる事は出来ません。そして屈伸が深ければ深いほど高くジャンプ出来ます。努力や苦労にも同じ事を言えるのではないでしょうか。
当時の日本人が苦労と努力の上に完成させた琵琶湖疏水は100年近く経った今も利用され続けています。
苦境に立たされた時は琵琶湖疏水を思い出して下さいね。