有名と無名が共存する廬山寺

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廬山寺

「有名」=「世間に名が聞えていること。名高いこと」

紫式部(むらさきしきぶ)と聞いて知らない人はまずいないでしょう。超有名人ですね。

01 廬山寺_紫式部

廬山寺(ろざんじ)、正式名称は廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)。

このお寺は比叡山第十八世座主良源(慈恵大師)により938年に京都の北、船岡山(京都市北区)の南麓に創建された興願金剛院が始まりです。

その後、明導照源上人が1368年に住心覚瑜上人によって開かれた廬山寺と統合して寺名を廬山天台講寺と改めました。

02 廬山寺

03 廬山寺

そして豊臣秀吉の寺町建設により1573年に現在の位置(京都市上京区)へ移されました。

この地が紫式部邸宅跡地なのです!

04 廬山寺

05 廬山寺

紫式部は現在廬山寺が立っている土地にあった邸宅で藤原宣孝(ふじわらののぶたか)との結婚生活を送り世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を執筆しました。

源氏物語を読んでみたいけど何だか難しそうだな~と思う人は漫画家の大和和紀さんの描いた「あさきゆめみし」を読んでみてはどうでしょうか。

ところで「源氏物語」と言う題名は、執筆された当時の題名だったかどうかは明らかではないようです。

ではどのような題名だったのでしょうか?

一つの説としては源氏物語の重要な登場人物の1人「紫の上」から取った題名「紫の物語」「紫のゆかり」「紫のゆかりの物語」と言うものだそうです。

「紫」と言う単語がキーワードのようですね。

この視点で見ると廬山寺と紫式部の面白い関係が見えて来ます。

紫式部は紫野(京都市北区)周辺で生まれ育ったとされ名前もこの紫野に由来するとされているようです。紫式部の墓と伝えられるものも紫野にあります。

そして廬山寺の始まりは偶然なのか必然なのか船岡山の南麓、紫野です!

紫式部と廬山寺は何らかの縁があったと言うこうことでしょうかね(^^)

さてここまで有名人紫式部について触れて来ましたが廬山寺の境内には無名の天皇のお墓「慶光天皇廬山寺陵(きょうこうてんのうろさんじりょう)」があります。

06 廬山寺_慶光天皇廬山寺陵

慶光天皇???

知らないですよね。

そもそも歴代天皇を全て知っている人なんてなかなかいませんよね。

この慶光天皇、無名な上に歴代天皇表に載っていない天皇なんです。

なぜ天皇表に載っていないのに天皇なのか?

慶光天皇は江戸期の天皇で第119代光格天皇(こうかくてんのう)の父親にあたります。

光格天皇は自分の父親が天皇になれなかったことに後ろめたさを感じ悩みました。

当時は「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」により天皇は幕府の許可を得る必要があった為、江戸幕府との交渉を始めます。ところが再三再度交渉するも許可はおりず一時は交渉に当たった公家が閉門(謹慎処分)されるまでの緊張状態となりました。

が、しかし願いは叶えられませんでした。

結局、明治に入り光格天皇の孫の明治天皇が曽祖父のために天皇号を追贈したと言う事です。

慶光天皇は無名ですが、このような形で話題に上ると言うことはある意味有名かも(^^;

慶光天皇ご本人が有名になりたかったかどうかは別にして世の中ほとんどの人は有名にはなれません。しかし有名になることより「何をするか」「何をしたか」の方が大事なことですよね。

廬山寺に訪れた際は境内の裏側にある慶光天皇廬山寺陵にも寄って下さいね(^^)

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