あの有名な剣豪も訪れたかもしれないお城とは

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2013.06.03-237-1.00 Japan_杵築_杵築城

杵築(木付)城(きつきじょう:大分県杵築市)は室町時代初期に木付氏によって築かれ、以来約340年間にわたり木付氏によって統治されて来ました。

その後、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏と城主が入れ代わり最後は松平氏が1645年から1871年に廃藩となるまで227年間城主として統治してきたとのこと。

木付が杵築となったのは徳川6代将軍家宣下賜の朱印分に木付の文字が杵築と書き違えられていた為、幕府に伺いをたてたのち、木付を杵築と書くことになったようです。

この杵築城、もしかしたら宮本武蔵が来たかもしれません!

現地の案内板に面白い内容が書かれいました。

『慶長17年(1612年)関門海峡に浮かぶ巌流島で、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行ったとき、この試合の検分役を務めたのは、細川藩筆頭家老で、杵築(木付)城代の松井興長であった。

決闘が終わって門司城代沼田延元のもとにいた武蔵は、佐々木小次郎の門人たちに命を狙われたので、鉄砲組に護衛されて養父無二斎のいる豊後へ送り届けたと沼田記に記されている。

「二天記」では松井興長は、無二斎の門人でありと記述されており、地元では、武蔵が杵築にきたのではないかと言い伝えられている。』

勝っても刺客に狙われてはたまりませんね。

この話の真実は分かりませんが、色々想像する事によって楽しさが増しますよね!

宮本武蔵ファンの方は杵築方面に来た際は寄ってみて下さい!

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