コンパククトディスクの角度を変えると虹のように綺麗な光彩が表面に現れます。
これを構造色(こうぞうしょく)と言います。
自然界においても牡蠣(カキ)の貝殻の内側などで目にすることが出来ます。
その代表が玉虫(タマムシ)と言えるでしょう。
ゆえに構造色のことを玉虫色と表現します。
↑玉虫(フリー写真サイトより)
この玉虫の羽を使用して造られた国宝があります。
「玉虫厨子(たまむしのずし)」です。
聞き覚えのある人も多いのではないでしょうか?
なぜなら、ほとんどの人が小・中学校の社会科の授業で習ったことがあるはずだからです。
玉虫厨子は法隆寺金堂に安置されていた飛鳥時代の最高傑作の工芸品であり現在は同じ法隆寺内の大宝蔵院に移され展示されています。
厨子とは仏具の一種で仏像、仏舎利、位牌などを中に納め屋内に安置する屋根付きの工作物です。仏壇も厨子に含まれることになります。
玉虫厨子は仏堂建築の外観を模した木造で、飛鳥時代の建築様式をそのまま伝えているため7世紀の日本建築を知るうえでの貴重な遺品となっています。
その玉虫厨子に描かれている絵画に注目してみましょう。
そこには夜叉と羅刹、つまり鬼の図が描かれています。
そしてこの絵こそが日本最古の妖怪画とされています!
妖怪画は法隆寺が発信源だったんですね(^^)
妖怪画はその後12世紀の絵巻物「地獄草紙(じごくぞうし)」まで姿を見せず、鎌倉時代以降は続々と登場するようになります。
江戸時代には印刷・出版技術の発展に伴い浮世絵や版本を通じて庶民の間に浸透して行きました。
そして現代に目を向けるとポケモンや妖怪ウォッチなどの妖怪アニメが人気を博していますね。
しかし、妖怪アニメと言えば何と言っても、その先駆けとも言える「ゲゲゲの鬼太郎」ですよね!
漫画家の故・水木しげるさんの出身地である境港(さかいみなと:鳥取県)はゲゲゲの鬼太郎によって活気を呈しています。
↑水木しげる記念館
全国の商店街が活性化の取組みにおいて悪戦苦闘している中、境港はなぜ成功したのでしょう?
水木しげるさんは以下の言葉を残しています。
『筋を考えるのが漫画家の生命線です。私ははっきり言ってその努力は惜しみませんでした。いまでも続けている。なにしろ、漫画が好きだからね。私が売れなかった時代でも、原稿料の半分は、漫画の筋を考えるのに役立ちそうな本とか、妖怪の作画のための資料とかを買い込むのに使っていました。食べ物を買う金も満足に残らなかったが、それだけ「好き」の力が強かったのです』
境港の人達は自分達の愛する町を活性化させる筋を考えました。それが官民一体となって世界観を統一することだったのでしょう。
街のあちこちにブロンズ像を置き、電車も駅も交番もタクシーも商店街に立ち並ぶお店も全て妖怪色に染めました。水木しげるさんが考え続けた筋が境港の町の活性化につながったと云うことですね。
妖怪色に染まった境港は漁の町でもあります。特にマグロ、ベニズワイガニに関しては日本でも屈指の水揚げ量を誇ります。
境港に来たら美味しい魚料理で腹ごしらえをして妖怪たちと心ゆくまで遊びましょう!