神岡城が呼び寄せた未来への希望の施設

このエントリーをはてなブックマークに追加

飛騨の山々に囲まれた河岸段丘の土地に広がる神岡の街並み。

丘の上に築かれた神岡城(かみおかじょう)はこの街のランドマーク的存在と言えるでしょう。

↑神岡城↑神岡城天守から見る神岡の街並み

戦国時代、この地を治めていた江馬氏は越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄との間に立たされその勢力争いに翻弄されました。

それを端的に表しているのが父・江馬時盛(えまときもり)と子・江馬輝盛(えまてるもり)の関係でしょう。

神岡城は時盛が武田方の飛騨・越中の侵略拠点として築城しました(1564年)。一方で、この時期、輝盛は上杉方に従属していました。

輝盛は武田方が優勢になると一時は武田方に従属するものの、信玄が死去すると再び上杉方と通じます。

このような中、輝盛は時盛が家督を輝盛の弟の信盛(のぶもり)に譲ろうとしている事に不信を抱き時盛を殺害しました。

上杉、武田の対立が最悪の親子関係を作ってしまったと言えますね。

第三者同士のいざこざが飛び火して来ると言う事は現代に生きる私達にも起きうる事です。視野を広げて周りの動向や環境には常に気を配りたいものです。

その後、輝盛は織田信長の勢力拡大に伴い信長に従属しますが信長が本能寺の変で討たれると江馬氏と対立関係にあり同じく信長に従属していた姉小路氏(あねこうじし)と争い敗れて討死にします。

これにより江馬氏は事実上滅亡しました。

城主不在となった神岡城は戦国時代に終止符を打った大坂夏の陣(おおさかなつのじん)と同じ年の1615年に江戸幕府の命令により破却されました。

現在、私達が見る事の出来る神岡城の天守は1970年に神岡鉱山を所有する三井金属鉱業神岡鉱業所の創業100周年記念として丸岡城や犬山城を模して建てられた模擬天守です。↑神岡城↑模擬天守と同じタイミングで建てられた模擬城門

神岡鉱山は神岡町にある日本有数の亜鉛鉱山で、その歴史は古く奈良時代養老年間(720年ごろ)に採掘が始まったとされています。2001年に閉山するまでの約130年間の総採掘量は7,500万トンに達し一時は東洋一の鉱山として栄えました。

神岡城の隣には旧松葉家と共に鉱山博物館が併設されているので神岡城に訪れた際は両方に是非立ち寄って見てください。

↑旧松葉家

↑鉱山博物館

ところで、神岡鉱山はイタイイタイ病の発生源となってしまった暗い過去を持っています。しかし、閉山後の鉱山は未来への希望の施設に変貌したのです!

どのように変貌したのでしょうか?

以下、量子力学の話しなので難しくて良くわからないので間違いもあると思いますが細かい事は無視して下さい(笑)

私達の住む宇宙は、約137億年前のビッグバン(Big Bang)と呼ばれる大爆発から始まったと考えられています。

ビッグバンによって宇宙が出来る過程の解明に関わる理論に大統一理論(だいとういつりろん)と言うものがあります。

この、大統一理論の予言する陽子崩壊を実証するための施設が1983年に神岡町に完成しています。

それがカミオカンデです!

カミオカンデは2002年にノーベル物理学賞を受賞小柴昌俊(こしばまさとし)さんによって発案されました。

神岡鉱山が選ばれた理由は

・神岡鉱山の持つ岩盤強度が高く堅牢な飛騨片麻岩からなる地質が観測装置に必要な巨大な地下空間を建設するのに適していた事。

・坑内に豊富な湧水があるため観測に必要な純水を調達し易い事。

・坑内の気温が年間を通して13 〜 14℃と一定している為、観測に必要な環境の保持が容易な事

などが挙げられています。

カミオカンデは神岡のKAMIOKAと核子崩壊実験の英訳Nucleon Decay Experimentの頭文字NDEを合わせてKAMIOKANDEと名づけられたそうです。

カミオカンデについてもっと詳しく知りたい方は神岡城から約400mの位置するひだ宇宙科学館カミオカラボに是非お立ち寄り下さい!

↑ひだ宇宙科学館カミオカラボ

ところで、大統一理論についてですが、大統一理論は世の中に存在すると考えられている「電磁気力」「弱い力」「強い力」「重力」の4つ力のうち、「電磁気力」「弱い力」「強い力」の3つの力を同じ記述で表現しよう(統一しよう)という理論です。

面白い事に、3つのものを一つで表現すると言う意味では神岡城も同じです。

神岡城と言う名は現在の模擬天守に付けられた名前で築城当時は東町城(東町城)、あるいは沖野城(おきのじょう)、野尻城(のじりじょう)と呼ばれていたようです。

3つの名が1つに統一されたわけですね。

そして、神岡の名は奈良時代この辺の山から金が産出されており、神の岡と言う意味で神岡と呼ばれていた事に由来します。

3つの力を統一しようとする大統一理論に関わる実証施設のカミオカンデが神岡に出来た理由は同じように3つの城の名を統一し神の岡と言う強力な語源を持つ神岡城が呼び寄せたのかもしれませんね。

カミオカンデを呼び寄せた神岡城は次に何を呼び寄せるのでしょうか?

皆さんも神岡城に訪れて何か新しいものを呼び寄せて下さい!

このエントリーをはてなブックマークに追加