徳川園に隣接する「徳川美術館」と「蓬左文庫」にはなぜ源氏物語に関する書物があるのか?

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水と緑に覆われた都会のオアシス。

名古屋市の街中に広がる大庭園。

徳川園は1695年、徳川御三家の1つ尾張徳川家の始祖・徳川義直(とくがわよしなお)の長男・光友(みつとも)が大曽根御屋敷跡に造営された隠居所に移り住んだ事に起源を発する池泉廻遊式の大名庭園です。

第二次世界大戦中の1945年、名古屋大空襲で破壊されたこの庭園はただの公園として整備されましたが、2005年に日本庭園として見事に蘇りました。

徳川御三家の庭を起源に持つだけあって豪華な庭園です。

↑徳川園

ここでゆっくり庭を散策すると時間が経つのを忘れてしまいまいそうですね。

そんな庭園に隣接するのが徳川美術館蓬左文庫(ほうさぶんこ)です。↑徳川園黒門(とくがわえんくろもん)_徳川園、徳川美術館、蓬左文庫の正面口

徳川美術館には尾張徳川家伝来の大名道具や他の大名家からの購入品、あるいは名古屋の豪商らからの寄贈品など数々の国宝、重要文化財を含む貴重な品々が収蔵されています。↑徳川美術館

そのうちの1つに国宝「源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)」があります。

↑源氏物語絵巻(出典:ウィキペディア)

源氏物語絵巻は、源氏物語の諸場面を絵画化した平安時代末期の絵巻物です。

「伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)」「信貴山縁起(しぎさんえんぎ)」「鳥獣人物戯画(ちょうじゅうぎが)」(いずれも国宝)と共に日本四大絵巻の1つに数えられています。

絵巻物としては現存最古とされ、全十巻程度のうち4巻分が残っており、その内の3巻15場面を徳川美術館が収蔵しています。

一方、蓬左文庫は1616年、徳川家康の死去により前述した徳川義直に分譲された約3,000冊の蔵書を保管するために名古屋城内に創設された「御文庫」(尾張藩文庫)を起源としています。

↑蓬左文庫

その蓬左文庫には河内本源氏物語が保管されています。

↑蓬左文庫_河内本源氏物語

河内本(かわちぼん)とは「源氏物語」の写本のうち、鎌倉時代に歌壇や源氏学(源氏物語研究)の世界で大きな影響力を持つ河内方(かわちがた)と言う一派・一族の創始者として位置づけられる源光行(みなもとのみつゆき)とその子、源親行(みなもとのちかゆき)が作成したとされるもの、及びそれを写して作成されたとされるものを指します。

この頃から既に源氏物語の研究がされていたと言う事は源氏物語は時代に関係なく日本人の心に突き刺さる魅力を持っていると言えるでしょう。

しかし、なぜ徳川美術館、蓬左文庫には源氏物語に関する一級品の書物類が収蔵されているのでしょうか?

徳川美術館、蓬左文庫のある愛知県にはトヨタ自動車の本社があります。

そのトヨタ自動車が構築したトヨタ生産方式を構成するものの1つとして「なぜなぜ分析」と呼ばれるものがあります。

これは、ある問題を対策するに当たり、その問題を引き起こした真因を突き止める為に「なぜ」を繰り返す手法です。

今回はこのなぜなぜ分析を利用して、なぜ源氏物語に関する一級品の書物類が徳川美術館、蓬左文庫に集まって来たのかを解析してみましょう。

それでは始めます。

なぜ、尾張徳川家伝来の品々が保管されている徳川美術館に源氏物語絵巻があるのか?

→ 幕末に鷹司家から尾張徳川家に子女が嫁いでいだ際に嫁入り本として源氏物語絵巻が贈られたようです。

なぜ、鷹司家は嫁入り本として源氏物語を贈ったのでしょうか?

→ 江戸時代はお金持ちや大名のお姫様が源氏をテーマとした嫁入り道具を持っていく習わしがあった為とされています。おそらくこの習わしに従ったのでしょう。

なぜ、そのような習わしが出来たのか?

→ 徳川家は源氏の名のつくものは何でも大切にしていたと言われています。それがお金持ちや大名の間に知れ渡り、上流階層の習わしとして定着したのではないでしょうか。

なぜ、徳川家は源氏の名のつくものを大切にしていたのでしょうか?

ここからがいよいよ確信に迫る内容となります。

→ 実は江戸幕府の創始者である徳川家康は源氏物語が大好きだったようです。その証拠として源氏物語に精通している知識人達から4回も講義を受けています。

家康は戦国時代を戦い抜きその最後を締め括った武将です。このように武に秀でた家康は他の武将に比べて群を抜いて学問にも長けていたそうです。文武に優れていた家康だからこそ約250年近く政権を維持する江戸幕府の礎を築く事が出来たのかもしれませんね。

では、なぜ家康は源氏物語を好んだのでしょうか?

→ 日本には古代より氏族名と言うものが存在していました。

その氏族名の1つが源です。

その源氏一族全体の氏長者を指す権威があります。それは「源氏長者」と呼ばれるものです。源氏の中でもっとも官位が高い者が源氏長者となるのが原則でした。

家康はもともと藤原氏の流れから来る家柄とし、藤原姓を名乗っていましたが源氏長者の権威に着目し氏族名を源姓に改めたのです。

ちなみに、徳川家康の正式名称は「徳川次郎三郎朝臣家康(とくがわじろうさぶろうみなもとのあそんいえやす)」です。

長い名前ですね(^^;

これにより征夷大将軍と源氏長者を一身に兼ねることになり日本国王に相当する権威を手に入れて公家と武家の掌握に利用したとも言われています。

つまり、天下統一を成す事が出来た理由の1つが源姓を名乗る事だったわけです。であるならば家康が源氏物語を好んだのは想像に難くありません。

自動車業界で天下を獲った愛知県に本社を持つトヨタ自動車の手法で、愛知県出身の徳川家康が戦国時代に天下を獲る事が出来た理由の1つが解明出来ました!

なぜなぜ分析も最初に疑問を持たなければ始まりません。物事を深く知るにはまず初めに疑問を持つ事が必要です

徳川園、徳川美術館、蓬左文庫を尋ねたら、他の展示品にも疑問を投げかけてみて下さい!

そうすれば、新たな発見に出会える事でしょう。

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