のどかな雰囲気に包まれた茶畑。
この風景は一時の安らぎを与えてくれます。小高い丘の上に設けられた稲荷山茶園公園からの風景です。↑稲荷山茶園公園
愛知県西尾市(にしおし)は西尾茶のブランド名を持つ抹茶の産地であり、その原料である碾茶(てんちゃ:抹茶に碾(ひ)く前の原材料の茶)の生産量が国内生産量の約20%を占めます。↑西尾茶
そんな西尾市の中心的存在であり市民の憩いの場になっているのが西尾城の一部を復元した建築物群によって構成されている西尾市歴史公園です。
それでは、それらの建築物を中心に公園内を見学してみましょう。
まずは城主の居所である二之丸御殿(にのまるごてん)に至る表門です。扉に真鍮しんちゅうの化粧金具を取り付けているため、鍮石門(ちゅうじゃくもん)と呼びます。↑鍮石門
門をくぐったら二ノ丸へ進み天守台の見学です。
一般的に本丸に築かれることの多い天守ですが、西尾城の天守は全国的にも珍しく二ノ丸に築かれていました。↑天守台
その天守台から江戸の初期に建てられたと推定される二ノ丸丑寅櫓(にのまるうしとらやぐら)へ繋がる土塀。この土塀は敵を攻撃するために2箇所の張り出した部分がある屏風折れになっています。これも全国的に珍しく西尾城の特徴の一つとなっています。↑二ノ丸丑寅櫓と屏風折れの土塀↑二ノ丸丑寅櫓↑屏風折れの土塀
次は本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)です。城内の隅櫓(すみやぐら)のうち一番高い建物でした。
↑本丸丑寅櫓
本丸丑寅櫓の後は西尾城に関する資料や西尾城跡内における発掘調査での出土品などが展示されている西尾市資料館の見学です。
↑西尾市資料館
最後に公園近くにある尚古荘(しょうこそう)に寄り道です。西尾城への思いから名付けられたこの場所には板敷き30畳の大広間(現在は畳敷き)のある建物や、東屋(あずまや)、などが配置されています。↑尚古荘
如何でしたでしょう。歴史ある風情を楽しめたでしょうか?
ところで、西尾城の始まりまで遡ると、この城が起点となりあるものが誕生しているのが分かります。
西尾城はかつて西条城(さいじょうじょう)と呼ばれていました。その西条城は鎌倉幕府の御家人であり三河国幡豆郡吉良荘の守護職に任じられた足利義氏(あしかがよしうじ)が築城したとされています。
義氏は守護職を庶子(しょし:正室ではない女性から生まれた子供を指す)である長氏(おさうじ)に譲りました。長氏は城主となって西条城(西尾城)に入ります。
長氏は三河国吉良荘を領有したことから、吉良長氏と名乗りました。
吉良と聞いてピンと来た人もいますよね。
そうです、忠臣蔵で有名な吉良上野介(きらこうずのすけ)の吉良です。
吉良氏は西尾城が起点となって生まれた氏族と言うわけです。
更に、築城主の長氏は幡豆郡今川荘を隠居地としたのですが、次男である国氏(くにうじ)がこれを継承して今川氏の祖となりました。こちらは桶狭間の戦いで有名な今川義元(いまがわよしもと)の今川氏です。
吉良氏も今川氏も西尾城が起点となって生まれたと言えるでしょう。
ちなみに、桶狭間の戦いの後に今川氏の人質から解放された徳川家康は岡崎城に戻り三河で勢力を固めていく中で今川氏と西尾城をめぐって攻防を繰り広げました。
この攻防戦で今川氏は撤退し、その後滅亡への道を歩み始めました。
西尾城に端を発して生まれた今川氏が西尾城に端を発して滅亡してしまったと言うのは何とも皮肉な話ですね(^^;
ところでもう一つ西尾城が起点となって生まれたと言えるものがあります。
西尾茶です!
吉良氏の祖となった吉良長氏の嫡男である満氏(みつうじ)は京都東福寺の円爾(えんに)を開山(寺院を開創した僧侶。すなわち初代住持職)として吉良氏の菩提寺となる実相寺(じっそうじ)を西尾の地に創建しました。
この円爾が宋から茶の種を持ち帰り寺の境内に播いたことが西尾茶の起源とされています。
西尾茶も西尾城が起点と言えるでしょう。少々こじつけ感はありますが(笑)
↑実相寺
出来る事なら西尾市歴史公園で西尾茶を味わいたいですよね。
西尾市歴史公園内には京都の公家・近衛家の邸宅の一部を移築した旧近衛邸(きゅうこのえてい)があります。↑旧近衛邸
ここでは茶の湯文化を伝える事を目的の一つとしている事からお抹茶を飲む事が出来ます!
西尾市に来たら是非、西尾市歴史公園で復元された西尾城の建物の風情を感じながら抹茶を味わって下さい。
何か起点となる出来事が起きた時、そこから派生して色々な物が生まれるのかもしれません。
そんな事を感じさせてくれる西尾市歴史公園です。