想像を膨らませて銀閣寺の名前の由来を追及してみましょう!

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わび・さびに通じる美的感覚によって派手な彩は抑制され、落ち着いた景観が創り出されています。

室町時代中期に花開いた東山文化を代表する庭園と建築物を所持するこの場所は室町幕府8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)によって創建されました。

銀閣寺(京都府京都市左京区)です。↑銀閣寺

その銀閣寺の境内で現存する建築物は共に国宝に指定されている東求堂(とうぐどう)と観音殿の2つのみです。

東求堂は現存最古の4畳半座敷を有し、茶室の原点とも言われています。↑銀閣寺_東求堂

もう一方の観音殿の通称は銀閣↑銀閣寺_銀閣(観音殿)

銀閣寺と言えば真っ先にこの観音殿を思い浮かべますね。

銀閣寺の正式名称は慈照寺(じしょうじ)ですが慈照寺と聞いても分からない人はいると思いますが、銀閣寺と言う名であれば誰でも知っているのではないでしょうか?↑銀閣寺_総門

ところが銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代以降であり、そもそもなぜ銀閣寺と呼ばれているのか?その理由は明確にはなっていないそうです。

銀閣寺と呼ばれるようになった説の1つに単純に金閣寺と対比されて銀閣寺と言うようになったというものがあります。

しかし、現在の銀閣に銀箔は貼られていません。↑銀閣寺_銀閣(観音殿)

では当初は貼られていたかといえば、2007年に行われた科学的調査によって銀箔は創建当時から貼られていなかったことが判明しています。

しかし、金閣寺と対比するのであれば銀箔は外せないアイテムですよね。

ですから銀箔が貼られなかった理由として「当初は銀箔を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」「銀箔を貼る予定であったが、その前に義政が他界してしまった」などが挙げられています。

あくあまでも銀箔で覆われる事を前提とした説ですね。

他の説として以下のようなものもあります。

銀閣寺に訪れると必ず目にする「銀沙灘(ぎんしゃだん)」「向月台(こうげつだい)」と呼ばれる砂盛りがあります。↑銀閣寺_銀沙灘(手前)と向月台(奥)

この砂盛りの目的も定かではありません。

一説にはこれらの砂盛りには月の光を反射させて本堂を照らす役割があるとされています。

そこで、その光に照らされた様が銀色に輝くようだった事から銀閣と呼ばれるようになったと言う説です。

非常に興味をそそられる説ですね。

と言う事でこの説に焦点を当てて想像を膨らませてみましょう。何か面白いものが見えて来るかもしれません。

岐阜県の飛騨白川郷には室町時代から戦国時代にかけて勢力を誇っていた内ヶ島氏(うちがしまし)と言う氏族が存在しました。

聞き慣れない氏族名ですね。

それもそのはず、この内ヶ島氏は1585年(天正13年)に起きた天正地震で城下町は土石流に飲み込まれて埋没してしまい一族は一瞬にして滅亡してしまったのです。

まるでイタリアのポンペイの遺跡のような話ですね。

内ヶ島氏はもともと足利将軍家の奉公衆として仕えていましたが義政の命令で白川郷に入領したと言います。

白川郷を含む飛騨地方は金・銀・銅の鉱物資源に恵まれた鉱産地帯であった為、これに目を付けた義政は室町幕府の財源確保を狙って命を下したと言うのです。

もしこれが事実なら銀箔の調達は可能になったが観音殿に銀箔を貼る前に義政が亡くなり中断されたと推測する事が出来ます。

一方、天正地震で滅亡した内ヶ島氏ですが、実は内ヶ島氏の家臣で血族であった山下時慶・氏勝親子が生き延びていたのです。

氏勝には氏政と言う子供がいました。

氏政は岐阜県下呂市にある玉龍寺(ぎょくりゅうじ)と言うお寺に隠棲し、飛騨高山藩主の金森氏が利用していた下原旅館(下原陣屋)の館主となったとされています。

その縁からなのでしょう、氏政は飛騨高山藩主・金森可重(かなもりありしげ)の長男・金森宗和(かなもりそうわ)の娘と結婚しています。

宗和は今日まで続く茶道の流派の一つ、宗和流の祖です。

ここから想像を膨らませてみましょう。

茶人であれば、高名な庭師と接点があったかもしれません。

話を少し戻します。内ヶ島氏は元々足利将軍家の奉公衆だったと前述しましたがこの奉公衆には将軍に対する強い忠誠心が要求されていたようです。

その奉公衆の流れから来る氏政はもしかしたら、忠誠心に従い、銀箔を観音殿に貼ると言う義政の願いを代々受け継いで来たかもしれません。

それが茶人の宗和を通じて庭師に伝えられていたら?

銀閣寺の庭に現れた銀沙灘・向月台は内ヶ島氏の義政に対する忠誠心と言う糸が切れそうになりながらも切れずに伝えられた結果が形となったものかもしれません。

銀沙灘は飛騨地方で採掘された銀を示し、向月台は銀鉱山を表していると考えたらどうでしょう。↑銀閣寺_銀沙灘

長い年月をかけて内ヶ島氏の忠誠心によって引き継がれた義政の願いは叶い、銀沙灘・向月台によって月の光が反射されて銀色に輝いた観音殿は銀閣と呼ばれるようになったと言うわけです。

如何ですか?

ただ単に想像を膨らませただけですが、何だか面白いですよね。

歴史に限らず色々な事を組み合わせると思いも寄らない結果に辿り着く事があると思います。

銀閣寺に訪問したら想像を膨らませて何か新しいものを手に入れましょう!

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