衰退と再興を繰り返して来た有馬温泉

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有馬温泉

有馬温泉!

名前を聞いて知らない人はいないでしょう。温泉好きの日本人にとっては一度は訪れてみたい温泉の一つです。

有馬温泉は兵庫県神戸市北区にあり「関西の奥座敷」と呼ばれています。白浜温泉(和歌山)、道後温泉(愛媛)と並び「日本三古湯」の一つとして数えられています。

その他、林羅山(はやしらざん)の日本三名泉や、枕草子の三名泉にも名を連ねています。江戸時代の寛政年間(1789年~1801年)に初めて作られたとされる温泉番付では最高位の西大関に格付けされています。ちなみに東大関は草津温泉です。

と、ま~温泉に与えられる勲章を一人占めしていると言った感じですね(笑)

約1400年の歴史を持つ有馬温泉。簡単に言ってしまうと衰退と再興の歴史です。衰退の度に救世主が現れ有馬温泉を再興しました。彼らは「有馬三恩人」として讃えられています。さて誰でしょうか?

それでは簡単にその歴史を紹介させて頂きます。

始まりは神代の昔、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神が山峡有馬の里に温泉を発見したとされています。

その存在が広く知れ渡るようになったのは、舒明天皇(593〜641年)、孝徳天皇(596〜654年)の度重なる行幸がきっかけだったようです。

その後、徐々に衰退に向かっていたっとされますが、有馬温泉の医療効果を認めた僧行基が奈良時代に温泉寺を建立し基礎を造り上げ再興しました。

しかし承徳元年(1097年)、大洪水が起こり壊滅的な状態に落ち入り再度衰退の一途へ。

これを救ったのが鎌倉時代の僧仁西です。仁西は温泉寺を改修し12の宿坊を開き有馬温泉を復活させました。これ以降約300年は戦国時代の混乱にも影響されることなく繁栄を続けたとされています。

ところがこの繁栄を脅かす動乱期へ突入する事となります。享禄元年(1528年)と天正4年(1576年)の2度に渡り大火に見舞われ、有馬温泉はまたしても衰退の道を辿る事に。

このような状態の有馬温泉に手厚い保護と援助を行い再興に努めたのが豊臣秀吉です。秀吉は千利休をひきつれて盛大な茶会をひらくなどして繁栄をもたらしました。

本当に必要とされているものは何度でも復活すると言うことでしょうか。

ちなみに私の宿泊した旅館「兵衛向陽閣」さんの「兵衛」は豊臣秀吉の命名だと言う事です。久しぶりに高価な温泉宿に泊まり贅沢をしましたが、とても良い湯でした。

最後に有馬温泉の伝統工芸とお土産を紹介します。

●炭酸せんべい:炭酸泉を由来とする煎餅。

●有馬籠:千利休の好みにより作られた竹細工。六甲山系の良質の山竹をひとつひとつ織り上げた品。

●松茸昆布:裏六甲、丹波産の松茸と北海道の昆布とを、薪でじっくりと炊きあげた佃煮。

●千成漬:ひとくち茄子やひょうたんを灘の酒で漬けた太閤由来の漬物。

 

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