様々な条件の交わりによって進化した灘五郷の日本酒

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様々な条件が揃い交わり合うと活力が醸成され進化をもたらします。

日本人が古くから大切にして来た伝統や精神に海外の新しい技術や考えと言った条件が揃い交わって進化したものの一つに日本酒があります。

今回は菊正宗酒造記念館さんの画像と共に日本酒の最大生産地について説明して行きたいと思います。

「どうしても良い酒を造る」

菊正宗酒造の8代目嘉納治郎右衞門(かのうじろうえもん)。本名、秋香(しゅうこう)の言葉です。

明治期に生きた秋香は「最新設備への巨額の投資」「西洋の学問を身に付けた技術者の招聘」「ドイツから顕微鏡を購入」などにより酒質の向上改善に取り組み「近代醸造」への足がかりを築きました。

↑菊正宗酒造記念館

この菊正宗酒造が本社を置く兵庫県は日本酒の生産量日本一の地です。

なぜ兵庫県が日本酒の生産量日本一の地となったのでしょうか?

それは様々な条件が揃い交わったからと言えます。

以下、その条件を列記してみましょう。

◆ 兵庫県は日本酒造りに適した酒米「山田錦」の発祥地であり生産量が日本一。

山田錦は一般的なお米と比較して心白が大きいと言う特徴を持ちます。これが日本酒の雑味を少なくし、スッキリした味わいにさせると言う事です。

◆ 日本で初めて麹を使用して日本酒が製造されたのが「播磨(はりま:兵庫県南西部)」である。

◆ 日本四大杜氏のうち「丹羽」「但馬」の2つを兵庫県が有している

※杜氏(とうじ)は、日本酒の醸造工程を行う職人集団。

◆ 清酒の発祥地が「伊丹(いたみ)」である。

※清酒とは日本酒の一種であり、酒税法に定められた定義を満たすものを指す。

これだけの条件が整えば兵庫県が日本酒の生産量日本一の地になった事もうなずけますね。↑菊正宗酒造記念館展示

そして、兵庫県の中でも最大の日本酒生産地が菊正宗酒造の本社もある「灘五郷(なだごごう)」です。

灘五郷は、兵庫県の灘一帯にある西郷(にしごう)、御影郷(みかげごう)、魚崎郷(うおざきごう)、西宮郷(にしのみやごう)、今津郷(いまづごう)の5つの酒造地の総称を指し、日本の清酒生産量の約3割を占めています

灘五郷が兵庫県の中でも最大の日本酒生産地になった理由も様々な条件が揃い交わったからと言えます。↑菊正宗酒造記念館展示

◆寒造り(かんづくり)に最適と呼ばれる「六甲おろし」が吹く

寒造りとは、日本酒の仕込み方の一つの名称。気温の低い冬場に仕込むものを言います。1673年、徳川幕府が酒造統制の一環として寒造り以外の醸造を禁止した事により寒造りが醸造法の主流となって行ったそうです。

◆日本酒造りに適した「宮水(みやみず)」と呼ばれる水がある。

宮水は兵庫県西宮市の西宮神社の南東側一帯から湧出する灘五郷の酒造に欠かせない名水として知られています。宮水に含まれるミネラルが麹菌や酵母の栄養分となり、酵素の作用を促すと言う事です。

◆海に近く、他の酒造地域に比べ海運面で有利だった。

自然と地の利が灘五郷の日本酒を造り上げていると言うわけですね。↑菊正宗酒造記念館展示

さて江戸時代、このように様々な条件が揃い交わった事で出来上がった魅力ある日本酒は関東へ輸送され高い評価を得ていました。これによりある言葉が生まれたと言う説があります。

当時、上方から関東に送られる物は「下りもの」と呼ばれていました。

その中でも日本酒は灘五郷を含む兵庫や京都の伏見が本場だった為「下り酒」と呼ばれ、反対に関東の酒は味が落ちるため「下らぬ酒」と言われ、まずい酒の代名詞となっていたそうです。

一説にはこれが、まじめに取り合うだけの価値がない。程度が低くてばからしい。取るに足らないと言う意味の「下らない」の語源になったと言う事です。

面白いですね。↑菊正宗酒造記念館展示

今、世の中にある物やサービスは様々な条件が重なったからこそ出来上がったものばかりだと思います。

無から有を創り出す事は非常に難しいと思いますが、既に存在しているものを掛け合わせる事で進化させて新しいものを創り出す事は無から有を創り出すよりかは簡単です。

皆さんもこのような視点で観察し、何かヒット商品を生み出してみたらどうでしょうか!

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