東海道五十三次に溶け込む妖怪たち

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妖怪道五十三次鬼太郎たちとめぐる東海道の旅展

2013年7月27日~10月27日の期間にて「妖怪道五十三次鬼太郎たちとめぐる東海道の旅」展が岡崎公園内(愛知県岡崎市)にある岡崎城(第一会場)・三河武士のやかた家康館(第二会場)で開催されています。

徳川幕府は慶長6(1601)年から7年の歳月をかけ東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道を整備しました。東海道は江戸・日本橋を基点にして京都・三条大橋まで続きます。

東海道五十三次はその途上にある五十三の宿場を指しますが、宿場そのものを指す以外に歌川広重(寛政9年(1797年)~ 安政5年(1858年))による浮世絵も指します。

私たち日本人にとっては

東海道五十三次(宿場)=東海道五十三次(歌川広重の浮世絵)

となっており、東海道五十三次はいったいどちらを指しているのか分からないくらいになっているのではないでしょうか?

皆さんは東海道五十三次と聞いてどちらを思い浮かべましたか?

漫画家の水木しげる先生は歌川広重の東海道五十三次を参考にして『妖怪道五十三次』という木版画作品を2003年に発表しています。

今回の展示会の面白いところは歌川広重の『東海道五十三次』と水木しげる先生の『妖怪道五十三次』が並べて展示されているところにあります。両方の絵を見比べて見ているとまるで間違い探しをしているかのような感じにとらわれました。

日本の妖怪は古い物や長く生きた物、あるいは里山や鎮守の森と言った自然と共にある暮らしの中で遭遇する自然現象が畏怖の念となり妖怪いう形となって現れたと言う考え方があるようです。

水木しげる先生の描いた日本の妖怪たちは歌川広重の絵のなかに違和感無く溶け込んでいるように感じましたが、これも日本人の妖怪に対する考え方がそうさせたように思えます。

日本人は周囲と上手く調和しようとします。大袈裟かも知れませんが、この感性を持ち続ける事が平和を維持する事につながるのではないでしょうか。日本人としての感性を無くさないよう後世に伝えていきましょう。

P.S
展示場内は撮影禁止だった為、作品をお見せ出来ないのが大変残念です。チラシの一部に作品が掲載されていますので、そちらの写真を添付させて頂く事に致します。

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