清須会議の舞台となった清須城

このエントリーをはてなブックマークに追加

清須会議

現在(2013年12月2日)上映中の映画「清須会議」見に行って参りました!

監督:
三谷幸喜

出演:
柴田勝家(しばたかついえ)=役所広司
羽柴秀吉(はしばひでよし)=大泉洋
丹羽長秀(にわながひで)=小日向文世
池田恒興(いけだつねおき)=佐藤浩市
織田信雄(おだのぶかつ:信長の次男)=妻夫木聡
織田信孝(おだのぶたか:信長の三男)=坂東巳之介
お市(おいち:信長の妹)=鈴木京香
織田三十郎信包(おださんじゅうろうのぐかね:信長の弟)=伊勢谷友介
寧(ねい:秀吉の妻)=中谷美紀
松姫(まつひめ:武田信玄の五女)=剛力彩芽
前田利家(まえだとしいえ)=浅野忠信
黒田官兵衛(くろだかんべえ)=寺島進
掘秀政(ほりひでまさ)=松山ケンイチ
前田玄以(まえだげんい)=でんでん
織田信長(おだのぶなが)=篠井英介
明智光秀(あけちみつひで)=浅野和之

豪華出演者が勢ぞろいです!

清須会議は天正10年(1582年)に開かれました。どんな会議だったのでしょうか?

羽柴秀吉とは後の豊臣秀吉のこと。

羽柴の「羽」は丹羽長秀から、羽柴の「柴」は柴田勝家からそれぞれ一字ずつ譲り受けたものとされています。

柴田勝家は織田信長率いる織田家の一番家老、丹羽長秀は二番家老の席次が与えられ、2人は織田家の双璧と言われていました。

信長に小者(こもの=武家奉公人)として士官していた秀吉は次第に頭角を現し、遂にはかつて世話になったこの2人と同じ立場で会議に挑む事になります。

議題は本能寺の変で織田信長が亡くなった後の後継ぎ問題、及び領地の再配分についてです。特に後継ぎ問題では自分の推す候補者が後継ぎとなれば実質織田家の中でNo.1家老になれる重大案件です。

勝家、長秀、秀吉に池田恒興を加え4人て行われたこの会議は開催前から勝家派、秀吉派に分かれて駆け引き、思惑、策略が飛び交います。

かつて自分より遥かに下の位だった秀吉には負けたくない勝家、いずれは天下を取りたいと望む秀吉、その2人の動きに翻弄される長秀と恒興。

三谷監督はこう語っています

「会議に出席した4人で言うと、勝家と秀吉の間で揺れ動く丹羽長秀と池田恒興ですね。あの2人に、よりシンパシーを感じます。現代のほとんどの人は勝家と秀吉ではなくて、長秀と恒興だと思うんですね。僕もそうですし、だからこそ、彼らが僕らの代わりというか、代表のように感じられるのではないかと」

昔も今も、人との関わりの中で生きて行く事に変わりはありません。現代社会の中でも似たような状況に遭遇した方は多くいるのではないでしょうか?その時の判断で自分の行く末が大きく決まる事もあります。

会議の結末はどうなるのか?

これから映画を見ようとしている方で会議の結末を知らない方もいると思います。よって、このレポートでの記述は控えさて頂きます。

この映画は歴史に興味の無い方も、既に清須会議についてご存じの方も楽しく観賞出来ます。結末を知りたい方は是非映画を見て、楽しみながら歴史を学んで下さい!

ところで、清須会議の舞台となった清須城(愛知県清須市)ですが室町時代の応永12年(1405年)に尾張国の守護職であった斯波義重(しばよししげ)によって築城されたのが始まりです(現在の天守は平成元年(1989年)に建てられた模擬天守閣です)。

信長は10年間この城を居城としていました。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いはこの城から出陣しています。

そして現代。2010年1月には任期1年で信長から数えて17代目にあたりフィギュアスケート選手でもある織田信成さんが清須城の名誉城主に就任しています。

清須会議が開催され、織田信長にゆかりのある清須城。映画だけでなく機会があれば是非一度訪れて見て下さい。

このエントリーをはてなブックマークに追加