狐の森(きつねのもり)とはどんな森なのでしょうか?童話や昔話に出て来そうな名前の森ですよね。
また、喜見城(きけんじょう)と言うお城、どこにあるお城かご存じでしょうか?聞き慣れない名前のお城ですよね。
実はこの二つ同じ物を指します。さて何でしょうか?
答えは蜃気楼です!
従いまして喜見城は存在しないお城と言う事になります。
狐の森は江戸時代の天文書「天文義論(てんもんぎろん)」に記述があるそうです。
また、喜見城は1700年代に記された「魚津古今記」に魚津(富山県)で蜃気楼を見た加賀藩の四代藩主・前田綱記(まえだつなのり)が吉兆と喜んで「喜見城」と名づけたと記されているそうです。
ちなみに、喜見城とは須弥山(しゅみせん:古代インドの世界観の中で中心にそびえる山)の頂上の忉利天(とうりてん:仏教の世界観に現れる天界の一種)にある帝釈天の居城の事だそうです。
いずれにしても架空のお城ですね(^^)
この他、加賀藩十代藩主、前田治脩(まえだはるなが)が寛政9年(1797年)4月に江戸から金沢への参勤交代帰城道中に魚津で蜃気楼を発見し、その絵を描かせたと伝えられています。
では、日本で最も古い蜃気楼の記録はいつ頃のものなのでしょうか?
越後国上杉氏に関する軍学書「北越軍談(ほくえつぐんだん)」の中にある永禄7年(1564年)に上杉輝虎(謙信)が魚津で蜃気楼を見たという記述が最も古いと言われています。
上杉謙信も蜃気楼を見たんですね~
少し話がそれますが「北越軍談」が越後上杉氏の軍学書に対し甲斐武田氏には「甲陽軍鑑」と呼ばれる軍学書が存在します。川中島の戦いを繰り広げた両氏には似たような軍学書があるんですね。
以上が蜃気楼に関する歴史上の記録ですがその多くが魚津で見られたと言う記録となっています。
もうお気づきですね。そうです!魚津は蜃気楼の町なのです!
ではどこがビューポイントなのでしょうか?
それは、魚津埋没林博物館周辺が絶好のポイントのようです。
地図を広げて見ると良く分かりますが、左右に視界が開けている為、近くは黒部市生地方面、遠くは富山市岩瀬、新湊市、氷見市方面まで見渡すことができます。テレビや新聞でよく見かける富山の蜃気楼の映像も魚津埋没林博物館周辺から撮影されるものだそうです。
ところで、この魚津埋没林博物館には直径2mを超える大樹根が水中保存され神秘的な存在感を醸し出しています。
埋没林とは、約2000年前に川の氾濫で土に埋まった杉の原生林が、その後水没した物です。魚津の埋没林は魚津漁港の建設時に多数出土し、現在も周辺一帯に埋蔵されています。そして博物館の敷地の一部は、埋没林包蔵地として国の特別天然記念物にも指定されていると言う事です。
また、魚津埋没林博物館は蜃気楼に関する展示も行われている為、ここで蜃気楼に関する情報を入手する事が出来ます。
自然が創り出す神秘的な情景は人間には創る事が出来ません。
魚津に訪問して「埋没林」と「蜃気楼」、二つの自然の神秘に出会いましょう!
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