伏木北前船資料館の望楼から何を眺めていたのか?

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全体の一部に普通とは異なるものがあるだけで存在感は引き立ちます。

港への船の出入りを見張るために設けられた望楼

この望楼がある趣のある建物はかつて北前船の寄港地であり、加賀藩の直轄港だった伏木港(ふしきこう:富山県高岡市)で廻船問屋を営んでいた旧秋元家の建屋を利用した伏木北前船資料館です。↑伏木北前船資料館↑伏木北前船資料館(望楼)

北前船とは大阪と北海道を日本海回りで結ぶ航路を行き来した船を指します。館内には北前船に関する歴史資料や航海用具などが展示されています。

↑伏木北前船資料館

それでは、伏木北前船資料館の見学をしながら話を進めて行きましょう。

北前船は様々な物資を運びました。

幕末、武器が欲しい長州藩と兵糧(米)の必要な薩摩藩との利害関係が一致して薩長同盟が誕生しましたが同時期に伏木の廻船問屋で取り扱っていた商品もまた別の利害関係を成立させました。

望楼から見張っていたのは船の出入りだけではなかったかもしれません。

では何を見張っていたのでしょうか?

まずは伏木港について話をしたいと思います。 ↑伏木北前船資料館

万葉集の編纂者とされる大伴家持(おおとものやかもち)は、746年から751年の5年間を越中国(えっちゅうこく:現在の富山県と石川県能登地方を合わせた行政区)の国守(こくしゅ)として伏木に赴任しました。

家持が着任した時にはすでに港として利用されていたと言う事ですから伏木港はかなり古い歴史を持っていると言う事になります。

現在は北陸地方の主要な港の一つとなり、富山県を含む北陸工業地域、中国、韓国、ロシアなどの対岸諸国との交易拠点として重要な役割を担っています。 ↑伏木北前船資料館

さて、北前船の行き来が盛んだった江戸時代から大正時代に目を向けましょう。

この頃の伏木港は最盛期で大小30軒ほどの廻船問屋が立ち並び大いに繁栄していたと言います。

北前船は単に商品を預かって輸送をするのではなく航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げると言う買積み廻船でした。

↑伏木北前船資料館

よって伏木から出港する北前船は越中国周辺から集められた米を北海道や大阪まで運ぶと共に各地で買積した商品を売りさばく事でこの地域を治めていた加賀藩及び支藩である富山藩に莫大な富をもたらしました。

買積した商品の中でも特に北海道で採れた昆布は重要な商品として位置づけられていました。

なぜ昆布なのでしょうか?

富山と言ったら薬売りですね。それが昆布と関係しているのです。

昆布にはヨウ素(ヨード)が含まれています。この成分は体になくてはならないミネラルです。

昆布は甲状腺の病気に効くとした清王朝時代の中国で重宝され高値で取引されていたそうです。↑伏木北前船資料館

そこに目を付けたのが薩摩藩です。

江戸時代、薩摩藩の財政は逼迫していました。その対策として昆布を購入し中国に輸出して売りさばいたのです。

当時の日本は鎖国状態にあった為、海外貿易の唯一の窓口は長崎でした。しかし、長崎から輸出する事は幕府の目に触れる事になります。

そこで利用したのが富山の薬売りだったのです。薬売りの集団は「薩摩組」と言う名称で薩摩藩内への立ち入りを許されていました。薩摩組を通じて北海道から昆布を取り寄せ琉球(沖縄)経由で中国へ輸出しました。幕府の目を盗み密貿易をしたのです。

その代わりに薩摩組は薩摩藩が中国持ち帰った麝香(じゃこう:雄のジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料)などの貴重な漢方薬の原料を入手し富山に持ち帰りました。これにより加賀藩も取引に関わった廻船問屋も大いに潤ったと言われています。

薩摩藩と加賀藩の利害関係が一致したのです。

薩摩藩はこの密貿易で得た利益で財政を立て直し、資金を溜め込み、倒幕を果たしました。その裏方を支えたのが富山の薬売りの存在と言うわけです。薩長同盟のように表立っての活躍では無いものの薩摩藩と加賀藩の繋がりは陰ながら歴史を塗り変える重要な役割を担ったのです。

立つ位置は同じでも景色は見る人の置かれている立場によって異なって見える。

望楼から見張っていたのは船の出入りだけではなく、幕府の監視や時代の趨勢を見張っていたと言えるでしょう。↑伏木北前船資料館(望楼へ昇る階段)↑伏木北前船資料館(望楼の室内)

↑伏木北前船資料館(望楼からの眺め)↑伏木北前船資料館(望楼)

ところで、富山県では昆布が採れません。にもかかわらず消費量は全国トップクラスです。

近年では岩手県や青森県に抜かれて順位が下がってしているとは言え総務省の家計調査で、富山市の世帯当たりの昆布の購入金額は1960年の統計開始以来、2013年まで53年間連続で1位だったのです。

その理由はもうお分かりですね。

幕末に起きた歴史の流れは今も富山に根付いているのです。

富山に足を運んだ際には伏木港の歴史を肴に昆布締めなどの郷土料理を是非堪能して下さい!

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