富山湾に面した景勝地。「日本の渚百選」の一つに数えられている雨晴海岸(あまはらしかいがん:富山県高岡市)!
なぜこのような地名が付いたのでしょうか?
源平合戦を勝利に導き鎌倉幕府の樹立に大きく貢献した源義経(みなもとのよしつね)。義経はヒーローであるが故に「義経北方伝説(北海道に渡ったと言う説)」や「義経=ジンギスカン説(北海道から大陸に渡りジンギスカンになったとする説)」などの伝説が生まれています。
そんな義経伝説の一つが雨晴海岸にも残っています。
どんな伝説ですかね~
平氏の滅亡後、兄・頼朝(よりとも)と対立し追われる身となった義経は奥州下りの際、北陸路を経て雨晴海岸を通過します。その道中に降り出したにわか雨をしのぐ為、弁慶が岩を持ち上げてその陰で雨宿りをしたと言う事です。義経伝説ではなくて弁慶伝説ですね(^^;
「雨晴」という地名はこの伝説に由来しています。
そして、なんと!弁慶が持ち上げたとされる岩が「義経雨はらしの岩」として雨晴海岸に残っています。雨晴海岸に訪れた際は忘れずに立ち寄って下さいね♪
↓義経雨はらしの岩
このような伝説の残る雨晴海岸ですが、もう一つ珍しいものに出会えます。
それは富山湾越しに見る立山連峰の素晴らしい景色です。
なぜこれが珍しいのか?
海の上に3,000m級の山々を望むことができるのは、世界で3ヶ所だけだとか。それほど珍しい景色なのです!
この景色は空気の澄んだ冷え込んだ日に見る事が出来るそうですが私は暖かい季節に訪問した為、残念ながら見る事が出来ませんでした(ToT)
義経が雨晴海岸を通過する時もあまり良い天気ではなかったような感じですからきっと素晴らしい景色を見る事は出来なかったでしょうね(^^;
↓立山連峰が綺麗に見える雨晴海岸協会さんのフリー写真のコピーです。こんな写真が撮りたかった~
立山連峰はもともと山裾の急傾斜地が直接富山湾に向かって落ち込む地形をしていました。その為、何万年もの長い年月を経て富山平野が形成された現在も、海と平野のフラットな面の背後に3,000m級の山々が連なる事により、まるで畳の上に美しい屏風が立てられたような世界でも珍しい絶景を創り出しています。
ちなみに、富山湾の一番深い部分は1,000mを超える為、3,000m級の立山連峰から海底まで含めると4,000mもの峡谷になっている事になります。これが富山湾に豊富な海産物をもたらす理由の一つにもなっています。
縁の下の力持ちではないですが、見えない部分が大きな役割を果たしている事ってよくありますよね。そのような事に気づけるような物の見方を常にしていたいですね。
雨晴海岸からの眺めは澄んだ空気と綺麗な海が維持されて初めて成り立つ風景です。後世の人達にもこの風景を残す為に環境の維持に努めましょう!
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