先見の明によって築かれた倉敷美観地区

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倉敷_美観地区

倉敷美観地区。運河沿いに立ち並ぶ白壁の蔵。江戸時代にタイムスリップしたかと思わせるような趣のある景観は訪れた人達を魅了します。

倉敷は蔵の町としてあまりにも有名です。日本には蔵が残されている町が各地に存在します。ではなぜ倉敷がこれ程までに有名になったのでしょうか?もちろん美観地区ほどの規模で蔵が残されている場所が他に多くは存在しないと言う事もありますが、それ以外にも理由が有りそうです。今回はそれを追ってみましょう。

美観地区の景観を引き立たせている倉敷川は江戸時代運河として機能し、その河港には多くの商人が集まり蔵が建てられ、寛永19年(1642年)には幕府直轄の「天領」となり備中地方の物資が集まる商業の中心地として栄えました。

蔵と言えば何と言っても漆喰(しっくい)の白い壁が印象に残りますよね。

漆喰とは石灰に、ふのり、粘土などを練り合わせた建材です。

世界最古の漆喰は5000年前のエジプトのものとされ、日本では約4000年前の遺跡(千葉市、大膳野南貝塚)から国内最古(2012年時点)とされる縄文時代後期の漆喰が発見されています。

5000年も前から漆喰の技術は存在していたんですね。

日本の漆喰は、その白さに特徴があるようです。

室町時代末期に奈良へ訪れた宣教師イスマン・ルイス・ダルメイダが「今日までキリスト教国において見たことがなき甚だ白く光沢ある壁を塗りたり」と所感を述べているそうです。

ところでこの宣教師の出身地であるヨーロッパの宮殿や礼拝堂などの建造物には漆喰の壁が多く使用されており壁面には優美なフレスコ画が描かれています。

↓ヴァチカン博物館のフレスコ画

フレスコとは新鮮なという意味のイタリア語で、漆喰を壁に塗り、乾かないうちに水性の絵の具で直に絵を描く技法です。漆喰が濡れているうちに全て描いてしまわなければならない為、やり直しが効かず高度な計画と技術力を必要とします。失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すほかはありません。

やり直しになったら大変、責任重大ですね。

さてフレスコ画は西洋美術の一つですが、モネの「睡蓮」、エル・グレコの「受胎告知」などの西洋美術品が収蔵・展示されている倉敷美観地区の代表的な観光名所の一つが大原美術館です!

そして、この大原美術館を設立した大原孫三郎(おおはらまごさぶろう)こそが現在の倉敷を有名にしたと言えます。

孫三郎は実業家の家に生まれ多くの社会事業に携わり、現中国電力・現中国銀行・現クラレなどを設立。その一つが日本で最初の西洋美術中心の美術館・大原美術館の設立です。

大原美術館は昭和5年(1930年)に開館されていますが、その1年前の昭和4年(1929年)にニューヨーク近代美術館が開館されていますので、孫三郎の先見の明には驚かされます。

更には倉敷への軍隊配置の話が出た際に非国民、国賊と呼ばれながらも身を挺して反対したそうです。このことが結果的に倉敷市を戦火から守ることとなりました。

孫三郎の口癖の一つは「わしの目には10年先が見える」だったそうです。

倉敷は孫三郎の先見性によって守られ今も美観地区として保存され続けています。私達も目先の事にとらわれず先を見通して物事を判断していかなければなりませんね。

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