まさに文字通り!崖っぷちに立たされた時の奇策とは

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2013.04.20-014-1.00 Japan_浜松_犀ヶ崖資料館

住宅地の中に深い崖が!
でも、何も知らなければ気づかずに通り過ぎてしまうでしょう。
しかし徳川家康の歴史においては重要な場所。

浜松城から1kmくらいに位置するところに犀ヶ崖(静岡県浜松市)はあります。

現在は長さ約116m、幅約29m~34m、深さ約13mですが、かつては東西2km、幅約50m、深さは40mに及んでいたと伝えられているようです。

三方原の戦い(4月23日の記事を参照願います)で敗走した徳川家康は浜松城へ到着すると全ての城門を開け放し、城の中に篝火をたいて真昼のように明るくした。

追撃してきた武田軍はこれを警戒し城内に突入することをせずに引き上げて犀ヶ崖の近くに陣を置いた。

そこで家康は反撃に転じるために一計を案じた。

犀ヶ崖に布でにせの橋をかけた後、武田軍の背後に廻り後ろから大声をあげ鉄砲を撃ちまくった。勝ち戦気分の武田軍は織田の大援軍が来たと思いこみ、布橋を渡ろうとして谷底へ転落し多くの死者を出したと言われている。

転んでもただでは起きない家康。窮地に追い込まれても最後まであきらめてはいけないと言う事の大切さを犀ヶ崖は実例を持って教えてくれました。

現在、犀ヶ崖は「犀ヶ崖公園」の一部となり、公園内には「三方原の戦い」による死者の霊を祀ったとされる宗円堂というお堂が改修され無料開放されている犀ヶ崖資料館や、同じく「三方原の戦い」の際に殿を買って出て討ち死にしたと伝えるられる徳川四天王の一人である本田忠勝の伯父の本多肥後守忠真顕彰碑などがあります。

浜松城に行った際は少し足を延ばして寄ってみるのも面白いかもしれません。

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