緑の芝が美しい瑞龍寺

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山門をくぐりぬけると境内に一面の芝が!

緑の芝がお寺と絶妙に融合!

こんなお寺は全国的にも珍しいのではないでしょうか?

瑞龍寺(富山県高岡市)は加賀百万石の祖・前田利家とその正室まつ(のちの芳春院)の間に長男として生まれた前田利長の菩提を弔うために建立されたお寺です。

利家とまつは以前NHKの大河ドラマでも放映された事があるので有名ですが利長はあまり知られていなと思うので少し紹介します。

利長は豊臣秀吉の政権下で、五大老の1人だった父・利家亡き後、家督を継いで五大老の1人となります。この時、併せて秀吉の息子・豊臣秀頼の傅役(もりやく)も引き継ぎました。

利長は利家から「三年は上方を離れるな」と遺言を残されていましたが約束を無視して、加賀へ帰ってしまいます。

秀吉亡き後、天下を手中に収めたい家康は利長の取った行動を今がチャンスとばかりに前田家潰しに着手します。

家康は「秀頼の傅役を無断で放棄して加賀へ帰ったのは、浅野長政や大野治長らと結託して、わしの暗殺を計画しているからだ」と、根拠のない言いがかりを付けて、加賀征伐を仕掛けました。

家康が前田家を滅ぼして天下制覇の足がかりにしようとしているのを知ったまつは、交戦を主張する利長を宥め自ら人質となって江戸へ行き、14年間江戸城で過ごし前田家の危機を救いました。

まつが人質となり前田家を救った話は知れ渡っていますが利長がある意味、母親のまつを有名にしたと言う事になるのですかね?(笑)

ところで、14年も母親を人質に取られるなんて現代では考えられない事です。だとしても自分の親・兄弟は大切にしなければいけないなと改めて感じてしまいました。

さて、芝が美しい瑞龍寺ですが、なぜ芝を植える事となったのか疑問に思っていました。

そこで問合せをしたところ以下の回答を副住職さんから頂きました!

『芝生は創建当初ではなく、昭和平成の大修理の際に整備されました。以前は、松やつつじが数十本ありましたが移植いたしました。もともと地形が、深山幽谷ではございませんので、瑞龍寺の伽藍の連なりが大変に美しいため、その面の美しさを最大限生かし、しかも、湿気から建物を守るために、樹木が無い方が良いという判断が、当時の技術保存協会の考えだったと記憶いたしております』

長所を活かしそれを延ばす事により更に全体が引き立つ。瑞龍寺はそれを証明しています。改めて長所を伸ばす事の大切さを感じました!

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