渡辺崋山は江戸時代後期の三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士。
崋山は多才で武士であると同時に画家、学者であり政治家でもあった。
画家としては人物・山水画では、西洋的な陰影・遠近画法を用い、日本絵画史に大きな影響を与えた。
政治家としては天保の大飢饉で田原藩の家老として義倉(ぎそう:災害や飢饉に備えて米などの穀物を一般より徴収し、または富者から寄付を得て、これを貯蓄するために国内の要地に設けた倉庫)「報民倉」を設け餓死者を一人も出さなかった。
学者としての崋山は朱子学や陽明学をきわめ、さらに蘭学による西洋事情の研究に進んだ。
崋山は鎖国日本が世界の水準より遥かに遅れている事を憂えた一人であり、私書「慎機論」では鎖国の非を記した。
しかし、これが幕府の批判とされ田原で蟄居(ちっきょ)を命ぜらた。崋山は藩に災いが及ぶのを恐れ自刃した。
崋山の遺志は偶然なのかそれとも必然なのか現代の田原市に受け継がれている。
工業においては崋山が非難した鎖国とは全く正反対のグローバル展開を進めるトヨタ自動車の田原工場があることなどから工業製品出荷額は2兆円を超えている。
農業においては「報民倉」の教えから引き継がれたかのごとく温暖な気候を生かして、野菜、果物、花などの近郊園芸農業が盛んで、農業産出額は日本一である。
何ともバランスのとれた町である。
文武両道ではないが、人においてもバランスが取れている事は重要なファクターではないだろうか?
田原の町は渥美半島の入り口に位置する。この地方に足を運んだ際には渡辺崋山にゆかりのある場所を訪れて見てはどうだろうか?
崋山神社:
崋山の遺徳をしのび、毎年命日の10月11日に大祭が開催される。
池ノ原幽居跡(池ノ原公園内):
崋山が自刃するまで幽居した屋敷
城宝寺:
崋山の菩提寺。崋山の眠る墓所がある。
写真=城宝寺
田原市のお土産情報です。