一見どこにでもある普通の風景でもそこに物語が加わると違った風景に見えて来ます。
華蔵寺(けぞうじ:愛知県西尾市)はそのような部類に属するお寺でしょう。
このお寺の名前を聞いただけでピンと来る方は相当に通な方だと思います。おそらく殆どの方は知りませんよね。
では忠臣蔵に出て来る吉良上野介(きらこうずけのすけ)はご存じですか?
あらすじは知らなくても名前だけなら殆どの方は知っていますよね。
華蔵寺は吉良上野介の曾祖父にあたる吉良義定(きらよしさだ)が吉良家を再興した際に1600年(慶長5年)に創建した臨済宗寺院です。そして吉良上野介の墓所がここにひっそりと佇んでいます。
↑吉良上野介の墓
物事を違う角度から眺めると固執した枠から解き放たれ新たな真相が見えて来るかも知れません。
例えば悪役にスポットを当てるとそこには違った側面が見えて来ます。
忠臣蔵の中では吉良上野介は悪役ですが、この人にスポットを当てた場合どうなのでしょうか?
↑吉良上野介の像
地方の観光地や有名地とそこにまつわる歴史などの背景を絡めながら事件を解決していくストーリーが人気を集めている西村京太郎さんの小説・十津川警部シリーズ。テレビでも2時間ドラマで放映されていますね。
その小説の一つ「三河恋唄」を最近読みました。
今回、吉良上野介にスポットを当てたのはこの小説を読んだからです。
赤穂浪士(あこうろうし)だけが忠臣と讃えられているが主君を守って死んで行った吉良家の家臣もまた忠臣なのではなかったのか?と言った話を絡めながら十津川警部が事件を解決して行きます。
吉良家の家臣が忠臣だったならばその主君もそれなりの人物だった事になります。
本当のところはどうだったのでしょうか?
赤穂事件(あこうじけん)を題材に描かれた忠臣蔵はなぜそんなに人気があるのでしょう。
赤穂事件は戦国の時代から百年近く経った平和な元禄の世で起きました。武士道と言う精神が平和の中に埋没されかけた時代に赤穂浪士の取った行動が武士道を想起させ庶民の間で称賛された為です。
忠臣蔵はスポットを赤穂四十七士(あこうしじゅうしちし)に当ててヒーローとした物語です。
であればヒーローを際立たせるために悪役となった吉良上野介はどのような人物であったのか?
郷里では悪人ぶりを示す資料はほとんど残っておらず、逆に用水用に川から水を引き入れたり排水路の開墾や塩業の奨励をしたりなどの業績から名君として慕われていたようです。
忠臣蔵の悪役のイメージとは異なりますね。
更に、赤穂事件は江戸城中「松の廊下」で「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで浅野長矩が吉良上野介に斬りかかったことになっています。しかし、この「遺恨」がどんなものであるのかは記録に残されておらず不明だそうです。
この「遺恨」が何だったのかが分からない限り事の真相は迷宮入りと言ったところですね。
「勝てば官軍負ければ賊軍」
幕末の混乱の果てに勝利を治めたのは薩長同盟軍を中心とした反幕府勢力です。
ここでは幕府側は賊軍となり悪役側です。
しかし、その悪役側の立場から見た場合、幕府側で活躍した新撰組は云わばヒーローです。
現代でも近藤勇や土方歳三は人気がありますよね。
吉良上野介も、もしかしたらヒーローになりうる人物だったのかもしれませんね。
さて吉良上野介が治めていたこの地域には風光明媚な三河湾に面した吉良温泉があります。
↑三河湾
吉良温泉の方にはぶり返して欲しくない話ではあると思いますがこの吉良温泉も一時期不名誉な位置に立たされた事がありました。
1993年頃に温泉が涸渇するも関係者は観光客の減少を恐れ10年近く公表せずにいたそうです。しかしそれがマスコミに取り上げられ観光客が減少したそうです。
普通このような不祥事が発生すると倒産する施設が出て来ても不思議ではありません。
ところがこの影響で倒産した旅館施設はなかったそうです。
なぜなのでしょう?
その大きな理由の一つが美味しい魚料理。家庭的な接客で常連客となった方々に支えられ続けた事にあったようです。
吉良温泉の魅力は関係者の人達が思っていた以上に温泉よりもそのおもてなしにあったと言う事ですね。
↑吉良温泉
物理的な魅力も大切ですが心に残る魅力的な対応も大切なことを示す一例ではないでしょうか?
これもある意味悪役(吉良温泉の関係者の方が読んでいたら「悪役」なんて表現をしてすみませんm(_ _)m)にスポットを当てたから見えて来る真実と言う事でしょうね。
もちろん現在の吉良温泉は別の源泉からお湯を引き本物の温泉地として復活しています!
三河地方にお出かけの際は吉良上野介の眠る華蔵寺でお参りして本物の温泉と本物のおもてなしに出会える吉良温泉でくつろぎましょう!