視線の先に広がる青の濃淡色のみで彩られた二見浦(ふたみがうら:伊勢市)の海の表層。
その底には東西216m×南北108m、周囲850m、高さ約7.5mの巨大な石(と言うより岩盤と言った方が正しい表現でしょうか)が横たわっているそうです。
かつては海面に顔を覗かせていたその石は江戸時代に発生した安政の大地震(1854年(安政元年))で完全に海底へと導かれ、その後は1960年(昭和35年)のチリ津波発生時に一度だけ少し姿を表わしたと言う事です。
この石は興玉神石(おきたましんせき)と呼ばれ海中の神霊を意味する「澳魂」(おきたま)に語源を発しています。
海上に浮かぶ大小二つの岩を結ぶ大注連縄はこの聖なる石を拝むための鳥居の役割を果たしているのだとか。
海の中までに境内が広がるこの場所は全国各地にある夫婦岩(めおといわ)の中でも特に有名な夫婦岩を見る事の出来る二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)です。
ではこの興玉神石はなぜ神聖な石なのか?
興玉神石は天孫降臨(てんそんこうりん)、つまり邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受け高天原(たかのあまはら)から豊葦原中津国(とよあしはらのなかつくに)に降り立つ際に道案内を務めた猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)が立たれた場所、あるいは猿田彦大神の化身と伝えられています。
ちなみに猿田彦大神のお供は蛙であることから二見興玉神社の境内には「無事に帰る」「貸した物が還る」「お金が返る」に掛けて縁起ものとして蛙の像が並んでいます。
と、ここまでは神話の域から脱してはいないのですが、この神話に出て来る神様からつながって来るのが天皇です。
そして、その天皇も二見浦の海の中に浸かったことがあるそうです。
二見興玉神社のある立石崎から今一色に至る海岸が二見浦なのですがここにある二見浦海水浴場は1881年(明治15年)に開設された日本で最初の公認海水浴場であり大正天皇も幼少時にここで水泳の訓練をしたと言われています。
↑二見興玉神社(立石崎)へ向かう二見浦沿いの堤防
二見浦は日本で最初の公認海水浴場が出来てしまうほど神様にとって重要な海と言うことですね。
海水浴が出来るのは海が綺麗な証拠です。神様が泳いでいようがいまが綺麗な海を維持するのは私達人間の役割です。
二見興玉神社で参拝した際は綺麗な海を眺めてその大切さを改めて感じましょう!