日野宿本陣から光を求めて旅立った新撰組

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日野宿本陣

日野宿(東京都日野市)に居を構える本陣は甲州街道の中でも1、2を競う大きさを持ち、かつてはこの前を行き交う旅人達の目を引いたことでしょう。

01 甲州街道↑現在の甲州街道

本陣とは江戸時代以降の宿場で大名や旗本、幕府役人などが使用した宿舎のことです。

日野宿本陣は東京都内に現存する唯一の本陣建築として当時の様子を今に伝えます。

02 日野宿本陣

03 日野宿本陣

04 日野宿本陣

ここで耳を澄ますと遠い過去から時空を超えて躍動感に満ちた掛け声が聞こえて来る気がします。

日野宿本陣の駐車場の辺りにはかつて天然理心流(てんねんりしんりゅう)の道場がありここで多くの若者が剣術の稽古に励んでいました。

05 日野宿本陣駐車場↑日野宿本陣駐車場

天然理心流は江戸時代後期の剣術家・近藤内蔵之助(こんどうくらのすけ)が創始した剣術、居合術等を含む日本の古武道の流派の一つです。

日野宿本陣から数百メートル離れたところにある八坂神社。ここに天然理心流の門下生25名が大小二本の木刀を架けた額を奉納しています。

06 八坂神社↑八坂神社

07 八坂神社_天然理心流奉納額↑天然理心流奉納額

額の最後には嶋崎勇。最後から二番目には沖田惣次郎と言う名前が記されています。

もうお気付きですね。この2人は新撰組の近藤勇(こんどういさみ)と沖田総司(おきたそうじ)の事です!

日野宿本陣の道場で稽古に励んでいた若者の中には近藤勇、沖田総司ら新撰組のメンバーもいたのです。

ちなみに日野宿本陣に道場を開いた佐藤彦五郎(さとうひこごろう)の妻のぶは土方歳三(ひじかたとしぞう)のお姉さんです。

土方歳三もまた日野市の出身です。

そうなんです。日野市は新撰組の故郷なのです!

08 日野宿本陣この地で剣の技を磨いた若者達はやがて幕末の動乱期へと駆け出しますが時勢の波には抗えず新撰組とともに散って行きました。

新撰組は幕府軍つまり賊軍となってしまった敗者側に属していましたが彼らもまた新しい時代の光を目指しながらその瞬間を精一杯生きたことでしょう。

彼らの見る事が出来なかった新しい時代の光。それは明治維新により近代国家構築へと進む日本を照らしました。

その光の一部は文明開化の象徴とも言えるガス灯の光と言えるかも知れません

ガス灯は新撰組の故郷・日野市にも大きな光を灯す事になります。

日本で最初のガス灯は1872年(明治5年)に横浜の馬車道・本町通り等に設置され人々の生活を変えて行きました。

その2年後の1874年(明治7年)に東京でもガス灯が設置され、1876年(明治9年)には東京府瓦斯局(とうきょうふがすきょく)が開設され本格的なガス事業が始まります。

東京府瓦斯局はやがて民間へ払い下げられ東京瓦斯会社(後の東京ガス)となります。

この東京瓦斯会社の機械部門が独立して出来たのが東京瓦斯電気工業です。

東京瓦斯電気工業と言われても何の会社?って思いますよね。

東京瓦斯電気工業は国内トラック、バス業界最大手の日野自動車の前身なのです。

日野自動車は新選組の故郷日野市に本社を構え日本経済の物流網を支えるトラック、バスの開発及び生産の拠点となっています。

物が流れることによって様々な環境が変化して行きます。近藤勇や土方歳三、沖田総司らも日野の地から移動して時代の流れに変化を及ぼしました。

何か事を成す時はまず行動に移さなければ変化は起きないと言う事ですね。

甲州街道沿いにある日野宿本陣前を行き交う日野自動車のトラック、バスは新撰組を乗せ多様な変化をもたらす為に日本中を日夜走り続けている事でしょう。

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